吉川浩フォトワークス  
 トップ   晴れのち曇り、ときどき雨 ( 履歴 )   2012年   2011年 / 2010年   2009年 / 2008年   

2011年

しわす (2011年12月29日更新)
京都の12月は、連綿と受け継がれている新年に向けての行事、習慣が、当然に淡々と行われます。価値観が多様化する中での伝承には、多大な労力を伴います。そして昨今、ライトアップやイルミネーションの光の演出で人々の心に温もりの灯を点します。

師走という言葉の通り、ますます気持ちは気忙しくなります。私の常はお日様と共に過ごしますが、人工光とも付き合います。ライトアップなどは午後10時前後まで、帰宅後食事、入浴で午前1前後に就寝することに。翌日のことを考えると、夜更かしは厳禁。夜更かしより、早起きするに限ります。そしてこの時期、『 雪だるま 』が気になります。お天気です。週間予報で京都北部に雪だるまマークが表示されだすと警戒態勢! 天気図で気圧の動向を注視します。それにしても見たことがない気圧配置が度々お目見え。温暖化の影響でしょうから笑いごとではないですが、『 なんや、この気圧配置は? 』と笑ってます。天気、曜日を考えながら、撮影予定を見直します。

行事だ、ライトアップだとあちこち駆け巡りながら、最近は日の出前からの早朝撮影の連続。日の出前と言っても、今は7時過ぎですので現場6時と楽です。ただ、イルミネーションで遅くなっていての早朝なんで、正直、しんどい。この早朝撮影で、薄暗い中に絵にならないモノが飛び込んできたときは、『 避けて撮れない 』と撮影プランを一から見直すこともありました。空が白んできて見渡せるようになると、自然な構図で撮れる箇所があり、大幅な変更の中で胸をなでおろすこともあっています。

そしてここ数日は早朝撮影に続いて雪の撮影に取り組みます。結局、6、7時間に及びます。ここでしっかり確認しておかなければならないのが、『 レストルーム 』の場所。寒いので生理現象が近くなります。雪の降ることが珍しくなっていて、絵になりそうな雪もなかなか見られない昨今。数か所での撮影を予定していても、思った雪景色をそうそう見せてくれません。雪雲の動きを見て、じっと待ち続けます。しかし、寒い! 他の場所でも撮りたい! レストルームに行きたい! 少しでもそれなりのものを撮りたいと粘りたい一方、粘り過ぎると他の場所で撮れなくなるし、生理現象も交えてあれこれ計算しながら、決断を迫られます。じっとしてますが、脂汗が出てきそうな緊張の連続です。撮影中は単にシャッターを押してるだけでなく、雪の様子を見ながら、絞り、シャッタースピード、構図などを変えます。凍りそうな思考力を働かせ、静かな格闘をしています。心は熱く、頭は冷静に、です。

うっすらでも積もるほど降ってくれればいいんですが、なかなか自然は思った景色を見せてくれません。私たち人間が作り出した温暖化の影響でしょうから寂しい。自然はその時々のありのままの状態を見せてくれます。自然の見せる姿は、私たち人間を映した鏡です。

あれこれ思いをはせながらも、特に雪に関しては撮り切ることを考えて臨みます。クリスマス寒波と言われた気象でした。例年、大晦日、元旦前後に雪を見ますが、今冬はどうなるのでしょう。温暖化で年々大きく変わっていくように感じている気象ですので、このクリスマス寒波が大晦日前後の寒さだったのかどうか。次降るとき、行けるかな? 自由に動けるときだったらいいですが。

短時間のライトアップで走り、雪を見ながら走り、生理現象で走りと、本気で走ってます。そして帰りの車中で眠りに落ちます。12月は師走で『 私走 』です。


追伸
今回、銀閣寺、下鴨神社方面、金閣寺、嵐山方面はそこそこの雪が降っていたのではないでしょうか。取材ヘリも2機飛来してました。結構淡白な取材で如意ケ岳(にょいがたけ、大文字山)辺りをちゃっちゃっと撮影して引き返してます。京都市内にたいして降ってなかったから? 不況で経費考慮のため?
旅の始まり (2011年12月15日更新)
映画、演劇、バレエ、日本舞踊、ダンス、文楽、歌舞伎、洋楽、邦楽、クラシック、伝統音楽、絵画、写真、立体。見て、聞いて、触って、なにかを伝えたいもの・ことを思い浮かべると無数にあります。『 芸術 』と言われるもの。

言葉やモノを介さず身体だけで表現する芸術に、バレエや日本舞踊を思いつきます。振り付けだけ(もちろん舞台美術や音楽もあります)を通して、見る人に喜怒哀楽を感じてもらう芸術と言えるでしょうか。この振りが決められているものを演じることを考えるとき、どこに表現の違いが生まれるのか解らずにいました。特に古典といわれるものは、細部に至って決まり事があると聞いています。すべて決められていることを演じるときに、ダンサーや舞踊家の表現とはどういうことだろう。私は花街を通して日本舞踊を見る機会をたくさんもてていますので、決まり事のある中で表現するとはどういうことだろうと考えています。

少し前にクラシックバレエはどう表現するのかと、主役を演じる人の書籍をもとめます。私にヒントを与えてくれるものが何冊か見つかりましたが、その中で、英国ロイヤルバレエ団で主役を演じている吉田都さんの『 終わりのない旅 』を何度となく読み返しています。エッセイで、文章が少ないこともあり、数十分で読み切ります。文章は少ないですが、行間がとても深い。読み返す度に新たなことを感じます。バレエは『 型 』が厳しく決められていて、その型と型をつなぐ『 ステップ 』で『 踊り 』となり、命が吹き込まれる。大雑把に言えば、この『 ステップ 』を通して表現することになるとのこと。20年近く稽古をしていた武道で型の稽古がありましたが、今考えると確かにそうです。型と型をつなぐ移動は個々人の範疇で、型を決める際もとても大切な表現でした。見方や感じ方がやっと判ったように感じています。外面的な表現を理解する準備が出来たのでしょうか。そして内面的な表現を感じられるような感性にするための勉強・研究の始まりです。

夢でも写真表現を考えていて、目が覚めることがあります。『 なにを表現したくてシャッターを押したのか 』 プロ集団のクラブに所属していたとき、入会時写真を見ながら言われた言葉、『 それでどうした 』 今もすべて表現したいものがあってシャッターを押している訳ではない。スナップでは条件反射でデザイン的構図の面白さ、綺麗さだけでシャッターを押してることも少なくない。まずはシャッターを押したときに感じたこと、表現したいことを言葉に出来るようにならなければ。芸術は頭だけで理解出来るものではない。体に染み込ませて、自然に表れるようにならなければいけないように感じています。そして、どのように表現したら見る人に伝わるのか。深みのある写真になるのか。シャッターを押してないときは、感性を高めるための勉強・研究の時間。シャッターを押しているときに表現したいものをしっかり感じているようになるためにも。終わりのない旅です。
心、震える (2011年12月5日更新)
短距離走。オリンピック選手の走りは、まるで格闘技のよう。スタート前の集中する表情、スタートについた時の研ぎ澄まされた感覚。そして疾走しているときの盛り上がり躍動する筋肉、獲物を狙うような眼光。ゴール直前の勝負に対する執念。見る者に緊張感が伝わり、激しく感動する。チーム競技での個人技も、格闘技そのもの。激しく接触し、よりよいポジションを取るために体をこじ入れ、強烈なタックルに耐え、瞬時に仲間を確認し、ゴールに向かって、パスを出す。叩き、蹴り会う格闘技。相手の隙をついて激しく突進し、攻撃をかわしながらのカウンター、技を受けて激しくゆがむ表情。倒されても、倒されても切れない闘志。すべては勝者になるため。

スポーツ競技は勝利を目指す。強く、激しく、前へ、前へと。その姿は見せかけでなく、真剣勝負そのもの。観客に見せるためではなく、勝利のため。真剣勝負が創り出す、美しき姿。なにかを表現しようなどとは思わない。勝利するために鍛えられた肉体と技術と精神。この世界でなにも考えず心から感動できる姿。真剣な気持ちが創り出す姿ほど、美しいものはない。余計なことを考えずに心から感動する姿がそこにある。

才能を目指す世界で通用するよう、練習、稽古で技術、思考を高める。一流と言わしめる者たちのその技術。軽々とやってしまうため、見る者は錯覚してしまう。限られた者しか出来ない技だが、それだけでは心を揺さぶらない。『うまいなー』、『じょうずやなー』と思うばかり。技術は発展途上だが、それをカバーする気迫あふれる動きに、揺さぶられ、将来の姿を想像する。『凄い奴になる』 倒されても、倒されても、勝利を最後まで信じ、立ち向かう姿に、心、震える。未来の勝利を感じる。周りの者を振り回す圧倒的な姿に、歓喜する。

表現。見る者を感動させる表現。もっとも強烈な表現が、スポーツ競技にあると思う。表現しようと思わず、真剣勝負をしている姿そのものが、もっとも感動させる表現につながる。心から感動できる表現。技術だけでなく、激しい勝利への気持ちこそが見る者の心を震わす。人々を感動させる必要最低限のものが、スポーツにある。自然な姿の中に、それはある。

写真表現も、撮影者の心が激しく震えないと写真に撮れないし、現れない。激しく、激しく、激しく、心、震えてこそ、写真に現れる。どこまで自然に感情を高められるか。撮影するときにどれだけ心の内に喜怒哀楽をもてるか。直接的な動のスポーツ競技、間接的な静の写真。しかし、すべて自己との闘い。表す形は違えど、すべて自己との闘い。激しく、激しく、激しく、心、震えるか。震わせろ。

追伸
紅葉などの撮影の合間に花街で行われるえり替ゑに向かう。作品撮り。体力は限界を越へているよう。両足は何時つってもおかしくない状態。朝起きるとき、仕事ではないから休養日に当てようと気持ちが揺れる。様々なお世話になっている方々の顔が浮かぶ。撮影終了。立っているのがしんどい。疲労と緊張と集中のせいか、胃が激しく痛み、気分が悪い。心が激しく震えたか、今は、思い出せなく、判らない。全力で撮り切ったことは確か。課題も見つかる。撮影するからには、どんな状態であれ、集中力が切れないようにしなければ。さて、レタッチがまったく進んでない。処理しなければならない写真がい〜っぱい。笑顔を見たい。美しく、綺麗な写真に仕上げよう。
本場の味?! (2011年11月19日更新)
『 クミン、クミン、クミン... 』 『 これかな、でもクミン・シードだ 』 『 ・・・たぶんこれやな 』 『 カルダモン、カルダモン 』 『 パウダーはあるけど、ホールはないや 』 『 パウダーじゃないのはあと、ローリエ 』 『 ・・・ないや 』 『 次はパウダー 』 『 ターメリックは簡単かな。黄色のもの 』 『 これこれ 』 ターメリックはカレーの黄色い色です。ショウガ科で、和名は『 ウコン 』

ウコンといえば、三味線の絹糸の染料に使われていたとのことです。数十年前(30、40年前?)まではウコンで染めていたとのこと。なんでも滋賀産のものとか。今は、『 オーラミン 』という染料が使われてるそうです。茶褐色の棹に黄色の糸。とても映えます。いつごろから染めるようになったのでしょうか。先人たちの美意識を感じます。ウコンからオーラミンに代わったのは鮮やかな黄色に染まるからのようです。ちょっとした邦楽話でした。ほっかほかのつい最近、邦楽器屋さんに教えてもらいました(笑)

そうそう、スパイスです。他のパウダーのものはありました。『 ガラムマサラ 』は2種類ありますので、使い切るまで新たに買いません。香りが大切ですので、すべて少量の容器のものを選びます。なかったのは、ホールの『 カルダモン 』と『 ローリエ 』の2種類。他のお店で探します。カルダモンはすぐありました。少量ではないですが。ローリエが見つからないので、店員さんに尋ねます。『 ローリエは置いてありますか? 』 『 これですね 』 袋に入っていて、『 ローレル 』と書いてあります。『 ローリエですけど? 』 『 月桂樹の葉はこれですよ! 』 ローリエは月桂樹だったっけ? でも本の写真はこんな感じでした。表記は統一されてないようです。『 そうか、ローリエはローレルなんや(笑) 』

帰って本を見直します。ローリエは月桂樹の葉です。シードは『 seed 』で『 種 』のことでした。3軒のお店を回りましたが、ローリエは最初のお店にもありました。スパイスの容器の隣に袋に入ったものが置いてあります。小さな容器には入りません(笑)

スパイスをそろえるだけで勉強になります。さて、これが美味しいカレーになるかな!? 計量用のスプーンは買ってますし、玉ねぎの炒め方やニンニク、ショウガなどスパイス以外は市販のルーでカレーを作るときに練習してます。準備万端(笑) いよいよスパイスだけでカレーを作る準備が出来ました。本番!

玉ねぎのみじん切り。まだいい加減なみじん切りですが、そろえることが大切です。炒めたときに判ります。本には載ってませんが、栄養のことも考えて、ニンジン、ジャガイモも小さめに切って用意します。トマトも使います。ニンニクとショウガのすりおろし。そしてスパイス。4、5人分の量が書いてありますので、作る分量を計量スプーンを使って用意しますが、こんな量!?と思うほど少ない。計量スプーンを使ったことがない人は1回目に必ず使ったほうがいいです。スパイスだから辛いスパイスの量を間違えると大変! 2回目からはだいたいの量が判ってますので、計量スプーンは使ってません。下準備をして、料理開始!!

弱火で油にホールスパイス投入!! 香りがしてきたら、玉ねぎを炒めます。本によると、この玉ねぎの炒め方がポイントみたいです。そしてニンニク、ショウガを軽く炒めて、トマトを入れます。そしていよいよパウダースパイス投入!!! カレーらしい香りです(笑) 鶏肉、ニンジン、ジャガイモを入れて、軽く炒め、チキンスープで煮込みます。『 う〜ん、ちょっと色が薄い? 』 そのまま続けて、いい頃合いに『 ガラムマサラ 』で新鮮な香りと辛味を加えます。ジャーン、完成! 見た目、ちょっと薄いですが、味はどうでしょう。楽しみ!

試食。ん、試食、じゃない(笑) 『 お、色が薄い通り、ちょいコクがないけど、カレーだ 』 初めてにしては合格かな。星1つ(笑) それから3回作ってますが、失敗がない感じ。スパイスの分量が少しくらい違っていても、大きく違わなければ、カレーが出来あがります! なかなか美味しい。スパイスが解ってくると、いろんな味で香りのカレーが出来そうです。たったあれだけのスパイスの分量でカレーが出来あがるのに感動。インドのさらさらカレーが好きな人は是非作って下さい。家で本格的なインドカレーを作って食べることが出来ます。

市販のルーと違って、全然香りが違います。胃もたれもなく、すっきり。調理時間もほとんど同じです。そして『 幸せ感200% 』 食材を考えて、買って、そして食する。この当たり前のことをやってなかったようです。美味しいものを食べたい。否、普通に美味しいものを食べたい。野菜の味も、昔のものはもっと濃かったと聞きます。自然の味を少しでも味わいたい。身の回りの食材が普通に美味しかったころは、『 美味しい 』と付けるのは極々一部の特別なものだったんでしょうね。想像できない美味しさだったんでしょう。今は美味しいかどうかよりも、安全かどうかが心配です。必要な手間を掛けることが出来て、安全で美味しいものが食べたい。自然の恵みだけを受けただけの、普通のものを食べてみたい。お日様と大地の恩恵だけを受けた、旬という限られたときだけの、その上に人の手間だけを掛けたものを食したい。まずは『 美味しい玉ねぎ 』を当たってみます。

追伸
味と香りを知るために、いろんなカレー屋さんに行ってみよう。『 スパイスチャンバー 』さん、浮気じゃないですよ(笑) 私は人が好きで、お店が好きです。スパイスチャンバーさんには、いろいろな魅力を感じてます。
ガラムマサラ!? (2011年11月8日更新)
スパイスが棚にずらりと並んでいます。その中に貝殻があり、『 これもなにかに使われるんですか? 』と以前聞いたことがあります。『 貝殻は違いますよ 』

さて、今日はどうしようかな! 『 チキンカレーをお願いします! 』 ここはチキンカレーとキーマカレーの2種類だけです。『 久し振りですね 』『 夏以来だから、2ヶ月経つかな〜 』『 市販のルーに飽きてたし、美味しいカレーが食べたくてやっと来れました 』 カレーが食べたくなったら、ここに来ます。四条烏丸すぐの『 スパイスチャンバー 』さんです。カレーはもちろん美味しいですが、お店の雰囲気が好きです。カウンターの7、8席という小さなお店。ご夫婦で切り盛りされていて、顔がしっかり見えます。『 カレーは作って、いくらか寝かせるんですか? 』『 フレッシュなものを食べてもらいたいから、寝かせませんよ 』 フレッシュ?、新鮮なカレーって? 市販のルーで作ったカレーだと1日置いたものが美味しいけど、フレッシュってどういうことだろう。

スパイスを配合してカレーを作ってみたいと思っていて、スパイスチャンバーさんに行くようになり、その気持ちが強くなっています。それでも重い腰をやっとこさ上げて、カレー本を買いました。何十種類ものスパイスがあって、それにパウダーとホールがあるので、魅かれるカレーでスパイスが似通ったものにしないと大変になっちゃう!と、しっかり読み込むこととします。どのレシピを見ても、よだれが出てきます(笑) スパイスの基本という項目で『 ガラムマサラ 』というミックススパイスなるものが出てきます。自分で作れるようになれば香りが当然市販品とは違ってしっかりしてるので、美味しさが格段に変わってくるとのこと。ガラムマサラは香りが命、時間と共に薄れていくので、新鮮なものほど美味しい、とあります。そうなんだ。スパイスって言えば、辛味ばかりを思っていましたが、香りなど様々な要素があったのです。なんとなくですが、解ります。カレーを食べるとき、あまり香りのことを意識していませんでした。スパイスチャンバーさんで食べてても、まったく堪能してませんでした(笑)

小麦粉を使ったものはヨーロッパ風で、そこに簡単に作れるようにと市販のルーが作られていったのでしょう。ある程度の保存がきき、香りよりも味重視のように思えます。これまでのお店は結構辛さをうたっています。『 スパイス=辛さ 』と思っていて、本当のカレーの味を知らなかったことに気付きます。

市販のルーで簡単にカレーが作れるけど、それは美味しさと引き換えにしていたように思えてきました。『 う〜ん、これって幸せ? 』 市販のルーには、味に関係ないものも入ってます。あれこれそれこれ思いを巡らしていると、近いうちに作ろうと思います。まずは、市販のルーにガラムマサラ(市販)を加えて、香りと辛さを楽しんでみようと早速入れてますが、美味しい。カレー本を見てると、ほんの少しの手間を掛けるだけで出来そうです。香りと辛さで味を笑顔で楽しめて、体にもいい。

『 便利とか効率って、幸せにつながってるの? 』と思うことがあります。写真を撮るとき、必ず心します。『 手を抜くな。手を抜くくらいなら、撮るな 』 レタッチのときも同じです。必要なことを省いてしまうとそこには幸せや笑顔がなくなってしまうように思っているからです。私自身が笑顔になれない。撮った写真を見る人には判らないことですが、そのようなことではないんです。すべてのことに通じることでしょう。
ぬくもりある空間 (2011年10月30日更新)
いつものようにネットで天気を確認します。最新の情報を、それに天気図も確認出来ます。それにしても最近の天気図は見たことのない気圧配置です。まるでバームクーヘンのように低気圧、高気圧、低気圧と綺麗な層をなしています。これも温暖化によるものなのでしょうか。気圧の動きが微妙で、予報が難しいことでしょう。それはそうと、曇が広がりそうです。明日こそは休めるかな〜 最近、好天続きで休みたくても休めないでいました。背中に痛みが出ていて、肉離れが心配です。

カーテン越しの明かりで目が覚めます。隙間から見える外は、綺麗な青空。ゆっくりめの朝です。それでもいつものように外に出て、空を見上げます。いい天気、快晴だ。撮影の準備を始めます。休みは明日にお預けです(笑) 資料を広げて、再確認します。桜のとき歩き回ってはいますが、町の様子はあまり覚えていません。行って歩き回ることが、一番確実。道順を決め、現場に向かいます。

地図に印を書き込みながら歩きます。昔ながらの町並みを想像していましたが、新しい家ばかりです。歩けど歩けど、ぽつりぽつりとしか町家はありません。いつだったか知り合いに聞かされたことをうっすらと思い出します。『 産業が厳しくなるとともに、どんどん建て替えていった。 』 広い地域ですので数回に分けて歩きまわるつもりですが、どのような町並みを見ることが出来るか。想像してたこととあまりにもかけ離れていたので一瞬困惑しましたが、現実をしっかり見て感じることが大切なことと思い直します。そうはいっても、どの町に行っても見る最近の普通の町並みにしか感じません。それなりに見せることは簡単ですが、私は真っ向勝負です。その場所が好きになれば綺麗で美しい写真が自然と撮れますので、しっかり見て回ります。町の住人になるように見て回ります。『 桜の時期にしか来たことないな。少し休んでいこう。 』 雨宝院で休ませてもらいます。桜は色付く時期が早い(紅葉スイッチは10℃?、4日)もので、幾分紅葉しています。葉が厚いせいか、温暖化の猛暑でも、結構綺麗な色付きで目を楽しませてくれます。最近(27日)、最低気温が8℃を切りました。紅葉スイッチオンです。スイッチが1度入ると、その後暖かくなってもオフになることはありません。2週間前後で見頃を迎えると思いますが、どうでしょう。今年はどんな秋景色を見ることが出来るでしょうか。

『 ドラート 』さんに寄って行こう。気になっていた蜂蜜専門店です。店主の丁寧な説明と5、6種類の蜂蜜を試食?させて頂きます。上品な甘さでどれも美味しい。これが自然の味なんですね。優しい味です。40種類ほど扱われていて、それぞれ色が異なります。真黒なものは、蜂蜜というよりも黒蜜と思ってもらったほうがいいとか。ミネラルを多く含んでいるので色が濃くなるようです。三味線で使われる紅木、鉄分を多く含んでいるので切り口が赤くなるのと同じようです。それぞれに味、香りが異なり、成分も違ってくるようです。疲労にいいものだったり、アロマのような効能のあるものもありそうです。少し長居をしましたが、その間、7、8人のお客様が見えられて、どなたも笑顔。美味しいものを前にするとみんな笑顔になりますね。可愛いお店で、幸せな空間です。ん、ドラートってどんな意味? 今度行って、聞こう。

それから再びあちこち歩き回り、これまた長い間気になっていたカフェ、『 さらさ西陣 』でほっこりすることに決めます。銭湯を改築したカフェ。2000年から営業しているお店です。手作り感のある、気取りのない空間で、楽しい。チャイを飲みたかったんですが、完売。それではと、疲れに効くカフェオレにします。地元のことは地元の人に聞くのが一番と町家のことで相談もします。少しばかり話すとドラートさんの蜂蜜も使っているとのこと。近くに行ったら、寄りたいお店で、いろいろ話したい。行った先では、地元の人と話すようにしています。地元の人でなく、観光客同士でもいいでしょう。最近よく見かけますが、スマホやガイドブックだけに頼らず、その時出会った人とあれこれ話して、情報交換がてら、出会いを楽しみたいものです。日の入りを過ぎ、暗くなっていましたが、もう暫く歩き回ります。画一化しつつある中で、楽しそうなキラリと光るお店に出会います。

いつもの通り、お昼は抜きでしたが、少しばかり気持ちにゆとりのある日でした。そうです、観光地でないような場所を歩き回ることは久し振りです。変哲のない町並みでしたが、その中に昔ながらの町家が点在し、町並みに溶け込む個性のあるお店があり、生活感を感じます。人の息遣いを感じます。ぬくもりがあるのでしょう。そこに日本独特の建築の良さが受け継がれていけばもっと楽しい色々な顔を持った町並みになるように感じます。楽しい空間に包まれ、触れていきたい。そこには笑顔があることでしょう。
一生に一度 (2011年10月14日更新)
時計を見ると朝6時前。その日は7時ごろに起きるつもりでした。眠気がないので起きて準備を始めます。ラジオからいつものようにαステーション ( エフエム京都 )が流れてきます。連日忙しく、疲れが相当たまっていますので、今日どうするかまだ決めていません。明日、大切な撮影がありますので、出来るだけ体を休めたいと思っています。

こんな体調でも準備を始めたのは、伏見稲荷大社で『 おいなりさん御鎮座1300年 』の奉祝記念行事が行われているからです。3日間に渡って様々な神賑行事が行われていて、撮影するかどうか決めかねています。『 あ、MAKOTOさんの曲だ 』 αの6時台は、ジャズが流れています。

吐き気を伴うむかつきがします。背筋は張っていて、無理をすると肉離れを起こします。朝から夕方まで緊張の中で撮影し、帰ってからはレタッチ処理と休まる時間がありませんので、疲れてるはずです。それでも迷うのは、1300年という区切りの年の行事ということ。次回は50年後、100年後でしょう。私の人生で1度きりの機会。ご奉仕される方々も人生で1度きりで、限られた方々。こんなことを考えますと、動けない訳ではないし、数時間くらい撮りに行ける。もう、気持ちは撮影しに行くつもりになっています。おいなりさんには何度か行ってますので、想像しながら機材を決めていきます。

電車でおいなりさんに向かいます。駅の真向かいですが、様変わりです。参道から綺麗になっています。楼門をくぐって、まずはお参り。むむ、隣のお姉さん( 本当はおばあさん )が大きなお札をさい銭箱に押し入れてます。お正月以外で初めて見ました。私は音の鳴るものです(笑) お参りを済ませて、行事が行われる外拝殿の光の状態などを見て回ります。今回大切にしていることは、1300年という区切りで行われていることが判ること。来る前から大まかな構図は決まってましたので、実際見てから立ち位置を最終確認します。願わくは曇って欲しいところですが、うっすらと筋雲が掛っているぐらいで、ほぼピーカンです。あとは、始まる時間を待つだけ。相変わらず吐き気がしています。体が休めと合図を出し続けています。もう少しだからと体に強制指示を出します(笑)

いよいよ始まります。今回の位置からはとても限られた瞬間にシャツターを押すことになりますので、特に集中です。10分ほどの奉納が終わります。これを書きながら思い返しても、雰囲気のある納得出来るものが撮れています。写真は現場に行かなければ撮れません。無理して行って、よかった。無理が利く限り、現場に向かおう。紛争地で撮影しているフォトグラファーに比べたら、なんてことないことです。

次の日の大切な撮影もどうにか無事済んでいます。ただ少し思い返すと体調がギリギリだったこともあり、余裕がなく、想像力があまり働いてないようで、体にしみこんでいるものを超えることが出来ていません。いろいろなものを見て、感じることが乏しかった。それでも私が基準にしている程度のしっかりしたものを撮り切ることが出来ています。さて、ゆっくり休みたいところですが、撮り溜まっています写真のレタッチを急ぎます。吐き気をもよおしながらパソコンに向かってます(笑) 楽しくやってますので、ま、いいでしょう(笑) さあ、レタッチ、レタッチ!


追伸
おいなりさんは、以上のように絶不調でしたが、行ったからには少しはおいなりさんの表情を撮ろうという気持ちになってしまいます。丁寧に撮りますが、少しでも早く帰りたいところ。しかし、周りは参拝者で賑わってます。写真を頼まれないようにと心の中で『 しんどいから頼まないでね。気分が悪いねん。少しでも早く帰りたいねん。 』と『 だめだめオーラ 』を最大限に出して、撮ります。案の定、すぐ隣で5、6人の野郎グループが撮ってもらいたさそうにしてますが、私のオーラが効いてるせいか頼んできません。『 そっとしといてね 』と思いきや、『 さわやか幸せラブラブ光線 』を私めがけて放ちながら近づいてくるカップル。『 すいませ〜ん、撮ってもらえませんか〜 』 『 だめだめオーラ 』をものともせず、『 さわやか幸せラブラブ光線 』にあっけなく打ち砕かれてしまいました。弱ってるからオーラもやわかったかも。『 いいですよ〜 』 カメラを受け取ったからには、笑顔になる写真に努めます。写真を撮るときはどんなときでも本気モードです。 私の目はレンズになっていて、見た瞬間に構図が決まります。ズームを操作しながら、『 少し前に来て下さい。上半身を撮りますね〜 』 『 ピントは顔認識ですか〜 』などと少し話しながら、周りの参拝者の動きも見て、ささっと撮ります。カメラを渡すと、すぐチェック。写真は好き嫌い、気に入る写真が撮れてるかな! 『 ほら〜私が言った通りでしょう! 』 『 お〜いいの撮れてるじゃん 』 『 やった〜 』 などと話してたか判りませんが、カメラのモニタを見ながら楽しそうに歩いていく姿からは気に入ってもらえたようです。私の腕が役に立ったようで嬉しい瞬間です。
常に上を目指して (2011年10月3日更新)
最近、初めての場所で撮影する機会がありました。舞妓さんの店出しです。私はこれまで祇園甲部ばかり撮影してましたが、昨年末から他の花街も撮り出しています。舞妓さんや店出しということで、いい意味で特別に興奮することはありません。舞妓さんにとっては一生に一度のことですので、そのことについてはいろいろな感動をもって臨みますが、撮影方法についても冷静に判断して臨めます。しかし、初めての場所。例えるなら、ブライダルの仕事で、初めての式場を撮影する緊張感です。

初めての式場では、式場、披露宴会場への移動経路、進行係の進め方、短時間でのポージング撮影をどの場所で行うかなど、予め調べておかないといけないことが盛り沢山です。進行係の気持ちを考えて、30秒下さいとか10秒お願いしますなど撮れる機会を伺います。ここでもたもた撮影場所を探していたら、進行係との信頼関係はなくなります。式の進行を予想し、天気、太陽の位置で光の状態を想像して、撮影場所を決めておかなければなりません。初めての式場のときは、常以上に先のことを考えて、想像していたことの確認をしていきます。予想していたことと違っていたら、代替場所を予めしっかり決めていきます。このような感じで撮影本番を迎えますので、常よりも最低1時間から1時間半早く式場入りします。初めての式場で慣れていませんので、そこそこの写真しか撮れませんでしたでは済みません。依頼者にとっては、一生に一度のことです。慣れた式場がより確実な写真が撮れますが、不慣れであってもそこにどれだけ近づけるかが求められると思っています。ポージングは引出しに一杯ありますので、それを活かせる場所をしっかり探します。ロケハン(ロケーションハンティング)です。

このようなことを考えて、店出しに臨んでいます。挨拶に伺う場所をしっかり頭にたたき込んでおき、天気、太陽の位置からどのような光の状態かを予想します。建物は町屋ですので落ち着いた色。どの程度の露出で私が望む写真が撮れるかも予備情報として確認しています。当日にこれらのことを確認して、その時を迎えます。当日以前には、町の様子、建物を何度も確認して、どのように撮ったらそれらをより活かせるかをこれまでの経験を含めて考えています。そして臨むのは、初めて見たと言わしめる写真です。こんな写真は見たことがないというものに臨みます。ここで大切なのは『 奇抜さを狙わない 』ことです。奇抜さは一瞬目を引きますが、これは本能的なことで、内容が伴っていなければ、見向きもされなくなります。奇抜さを見たことがないものと勘違いしないようにすることが大切です。表現するために必要な方法であることが大切だと考えます。奇抜さは、ちょっとした変化を付けることには有効でしょうか。

そして、その時。思ったようにいかないことが、度々あります。現実とはそんなものです。これまでの経験を活かして、その時その時、修正していきます。このように、これまでの経験を常にすべてつぎ込んで撮り切るように臨んでいます。スポーツと同じで、その時その時の判断が必要ですので、相当頭脳を使います。海外のスポーツ選手に医者や弁護士など少なくないことからも判ります。毎回、汗だくで、疲労困ぱいです。今回は、終わった後、中腰から立ち上がると、立ちくらみを起こす状態になっていました。相当、緊張していたようです。撮った写真は、納得出来るものが撮れています。今後撮る機会があったとき、今回の写真は基準に出来るものです。

常に全力で撮ることを考えていますが、最近更に気持ちのこもった写真になっています。少し前までは、自分の好きな天気や光の状態だと気持ちがより盛り上がり、違った状態だとどこかで盛り上がらないようなところがありました。自分の撮りたい立ち位置やレンズの画角と違っていたときも同じでした。それでも兎に角撮り切ることを考えて、乗り切っていました。そんな折、最近、風景を撮るときに、『 自分の望む天気じゃないな、どうしようか 』と気持ちが揺れながら、撮影を始めたことがありました。撮りながら、自分が望む天気になることはあるのかと考えたら、そうなることの方がとても稀だという結論に達します。その時の条件で最も納得のいく写真を撮り切ることが一番大切なことだということに気付きました。その時その時、納得のいくものを撮り切るように臨むことが一番大切なことだということに考えが至ります。自分が撮りたい状態ではないから撮らないということでしたら、いつまで経っても撮れないでしょう。限られた時間の中で目一杯粘り、納得出来るものを撮り切ることを常に考えるようになっています。『 固執し過ぎるな、常に柔軟であれ 』、ということにもつながるようです。限られた時間、限られた人生。その中で目一杯粘り、その時その時に納得出来るものを撮り切ることを考えて臨む。そうすれば、望む写真は撮れていることでしょう。人生は、すべてに渡って一期一会に思えます。
美しさの中の哀しみ (2011年9月25日更新)
人の心に響き、訴える力のあるものは、どんなものであろうと、美しいのではないでしょうか。

直視することが苦痛になる写真が、世界報道写真展に並びます。それらの写真が残酷かというと、淡々としていて、とても美しい。美しいが故に、その奥にあるものが強烈に心に響いてきます。気持ちに訴えてきます。苦痛を伴う場面ですが、美しさを感じます。どうしてでしょうか。

美男美女、美しい風景とか美しいモノだとかは、どちらかというと人の気持ちを楽しくするものが一般的なように思えます。しかし、世界報道写真展に並ぶ写真は美しいけれど、そこに写っているものは、災害だったり、死体だったり、人間が作り出した悲劇だったりと、本来ならばとても見るに耐えがたいものです。静かに見つめられた、淡々として、美しい写真たち。残虐で残酷だけのものなら、大多数の人は見ないでしょう。見たいとも思わないのではないでしょうか。伝えるためには、見てもらうためには、なにがしかの美しさが必要になってくるのでしょう。しかし、単なる美しさだけなら、見る人の心には響きません。心を揺さぶる美しさ、そのようなものを創り出すのは、やはり感性でしょうか。いろいろ努力して経験を積み、磨いた技術の上に感性が重なって創り出されるものでょうか。

過去にこの写真展に入賞された2名の方が、昨年、紛争地で取材中に他界されたと報じてありました。毎年、日本人を含め、取材中に多くの方々が亡くなられています。正義感や使命感だけでは行けません。私は怖くて行けません。映画『 プライベート・ライアン 』の冒頭シーンで気分が悪くなっています。私には想像すら出来ない精神状態の中、どのようにして撮影に臨んでいるいのでしょうか。そのような局面で創り出された美しい写真。その美しさの中に悲惨さや残酷さが間違いなく捉えてあります。見る者の心を揺さぶる美しさ故に、どんなに悲惨な場面であっても目をそらさせずに見つめさせます。最近、心と頭のことを書きましたが、私の場合、紛争地など想像を絶する場所に行けば心が振り切れてしまいそうです。

どう書いていいのか解りません。まとめることが出来ません。いくつか感じていることは、美しい写真故に悲惨さや残酷さを多くの人たちに伝えることが出来ているのだろうということです。力のある美しい写真ならば、嬉しいものは嬉しく、楽しいものは楽しく、悲しいものは悲しく、激怒するものは激怒を、見る人の目をそむけさせずに見つめさせるのではないかと。相反するかもしれませんが、自身の立ち位置といいますか、気持ちを極力押さえる必要性があることもあるのかもしれません。

悲しみや怒りを伴う場面と真正面から向き合ったことがほとんどありません。寂しさを感じることに度々出会っています。大切にしなければならないものだと思っています。美しさの中に寂しさを感じることが出来る写真に取り組んでみます。私の感じる寂しさが少しでも減ることを願うためにも、撮り始めようと思います。そうすれば、美しさのもつ意味をもう少し感じることが出来るのではないかと思っています。私自身も、もう少し強い心を持つことが出来るかもしれないと思っています。
100年後の名月 (2011年9月14日更新)
『 初日の出 』や『 ご来光 』といってお日様を拝みます。お月様はどうでしょう。月の出に関する言葉を私は知りません。今回の中秋の名月で月の出を撮影しようと準備をしていました。9月12日の月の出の時刻5時45分、日の入りの時刻6時10分と前もって調べます。前日の11日にはどの辺りから月が昇るのか確認しています。月の軌道など知らないことだらけですが、撮影場所を決めます。

そして旧暦の8月15日の9月12日、月の出の少し前から待ち構えます。前日は雲一つないような快晴でしたが、当日は低い所に結構雲が掛っています。月の出の時刻に近づくほど雲が厚くなってきます。昇ってくるだろうと思うところを見渡しますが、影すら見えません。とっくに月の出の時刻を過ぎています。お月様は厚い雲の中か。すると全然予想してないところから月が現れます。昇ってくると思っていたところより、ずっと左側、北の方から昇っていました。雲に見え隠れしながら昇っています。

背景が思っていたものとはまったく違いますが、1枚でも撮っておこうとの思いがよぎります。『 いや、長居は無用 』と機材を片付けて場所を移動します。しかし、稜線から離れてしまってました。広く撮るとお月様は小さくなり、雰囲気さえも感じられなくなります。雲が流れていますので、名月と雲で絵作りすることに変更します。見ただけでは撮影場所の雰囲気を感じられませんが、固執していてはなにも撮れません。タイトルで補い、名月を捉えます。

雲の流れを見ながら、40分ほど撮影します。雲がますます厚くなってきます。これまで。最初の撮影場所から2時間ほど経っていました。8時前です。予定ではお月様が高くなるから、7時ごろに切り上げるつもりでした。自然の織りなす景色を感じ、淡々と撮り進めるだけです。

翌日十六夜も満月。もっと全体を眺められる場所で再び待ちます。月の出は6時13分、日の入りは6時8分。今日は雲がほとんど掛っていません。どこから昇るのか左右を見渡し続けます。時刻をとっくに過ぎていますが、出てきません。稜線に特別明るいところが現れます。6時40分。更に北側です。背景が不満ですが、撮影を始めます。月、稜線、町並みで絵作りをします。ある程度昇ったところで、最後にテレコンを付けお月様のアップ、そんなに大きくないですが(笑) 終了。7時過ぎです。ま、予定通り(笑)

この3日間でおおまかな月の軌道を感じました。昇る位置がこんなに変わるなんて思ってもいませんでした。何年、生きているのでしょう(笑) まったく見ていません。それにしても月の出のなんて神々しいことか。お月様はお日様の光を反射して輝いていますが、その美しいこと。山の陰から昇ってくるのに、まるで自身で輝いているようです。自然は、美しい。こんなに美しい世界を100年後も見ることが出来るのでしょうか。


追伸
この1週間は、30℃超の夏日が続いてます。最低気温も25℃超え。最近でもつくつくぼうしの鳴き声を聞きます。昔はお盆過ぎたらめっきり涼しくなり、つくつくぼうしの鳴き声で夏休みの終わりを感じ、寂しい気持ちになってたような記憶があります。最近のじりじりと刺すような日射し。さすがに日陰に退避することもあります。100年後、否、50年後、人はどこでどんな生活をしているのでしょう。
最終確認 (2011年9月2日更新)
『 よし! 』 大サイズの本番プリントを確認して、一安心します。これまで対応した写真を町中で見掛けますが、初めて見たとき、その綺麗さに嬉しさを覚えました。今回はこれまでの倍以上のサイズでした。

カメラの画素数、レンズの解像度、撮影技術などで画像が決まります。パソコンの確認では問題なさそうですが、プリントの解像度が小さくなるので画像の荒れが出ないか心配でした。画像データをもって、プロラボに相談します。話の内から大丈夫ですねと言われ、データをモニタで見ながら問題ないですとの回答。解像度、色合い、明度などの確認をするために、テストプリント(テストピースと呼ばれていて、画像の20cm幅程度のプリント)を出してもらいます。出るまでに数時間掛りますので、ギャラリー巡りをします。そしてテストプリントの確認。驚くほどまったく問題なく、本番プリントをお願いします。同時に保留にしていたもう1枚のテストプリントも依頼します。朝からテストを依頼して、夕方に本番プリントが出来るとのこと。再び所用の対応であちこち回ります。

繁華街周辺にも行きますので、久し振りに気になってる飲食店でお昼を取ることにします。こうやってゆっくりめにお昼を取ることなんて、なかなかないんですよね。『 幸せ〜 』(笑) リーズナブルなお店ですが、ちょっとおしゃれなところでした。入ってきたサラリーマンのグループが、『 こぎたない店にしよや 』と出ていきます(笑) 私も三脚含めて機材をもってましたので、少し腰が浮いてました(笑) 今回?、スープはバイキングになっていて具沢山のコンソメとポタージュが頂けて、美味しかった。次回お店情報(もらうの忘れました)を頂き、紹介しますね!

そうこう用事を済ませながら、再々度プロラボへ。大きな机いっぱいに広げられる本番プリント。繊細な色合いの空の表情や残照で浮かび上がっている町並みなどとても奇麗に輪郭もはっきりと出ています。問題なし! プリントの解像度がこれまでの半分以下になりますが、まったく問題ありません。プロラボの担当者と話してますと、しっかり撮れてますので更に1.5倍ほどまで引き延ばせるでしょうとのこと。もう1枚のテストプリントも問題なし。本番プリントを依頼して、今日は終了。

翌日、もう1枚の本番プリントを確認して、取引先へ伺います。優しい雰囲気の光で充ちたものとグラフィカルなデザイン的要素を意識した構図の迫力あるものを見てもらいます。大サイズへの対応など確認してもらい、問題なさそうです。仕事の本番はまだまだ続きますが、一段落。

他の撮影に取り組み、そして時期的なことに一つ一つ確認しながら進めたこともあり、3週間ほど掛っています。プリント作成は大型台風(965hPa)とかけっこ。大サイズプリントを持ってギャラリーに寄った時は、『 雨が降るかもしれないのに、なに持ってんですか! 』と怒られます。当然です。今日から激しい風雨で、明日上陸するだろうと予報が出ています。ギリギリセーフ(笑)

モニタ確認やプロラボの担当者の経験から問題なさそうでしたが、私の機材、技術の未確認な要素がありましたので、本番プリントを確認するまでは静観してました。バーチャルな世界で問題なくても、リアルな世界では問題となることがあるからです。今回の対応で幅が広がりますが、どんな時でも最終出力を見るまでは安心出来ません、出力の大小関係なく。素晴らしい方々に指導して頂いたときの教え、『 写真はまず美しくないといけない 』を最低限のことと肝に銘じ、丁寧にそして見る人を引き付ける力のあるものを撮っていきたいものです。日々、謙虚にそして貪欲に研究です。

しか〜し、疲れました。考えてもどうすることも出来ないことでしたので平静にしていましたが、どこかで緊張していたようです(笑)
心に届く音 (2011年8月23日更新)
数日前から風邪気味で、その日も少し熱っぽく声も変です。更に気持ちを削ぐような、窓を激しく叩く雨が降っています。行くのを止めようかとの思いがよぎります。今日は、ある邦楽の勉強会が行われます。贔屓にさせて頂いている方々の出番は今回ありませんが、しっかり聞きたい方々がいます。

それでも身支度をしていますと雨が上がってきます。『 仕事ならどんなことがあっても行くのだろう。雨を上げるよ。気持ちまでダメなのか 』 写真の神様が囁いています。すっかり癖になっていること、玄関を開け、空を見上げます。家を出る時間になりますと、あんなに激しく降っていた雨が上がっていました。

私が邦楽に感じていることは、音を五感で感じて奏でなければ演奏できないということ。音を全身で覚えないと演奏できないだろうということ。邦楽にはもともと譜面がありません。譜面がないことも、三味線など邦楽器の奏で方を見ていますと自然に感じるようになります。譜面がないと演奏できないじゃないのと思っていましたが、音の出し方を見ていますと、音を覚えないと奏でられないことを感じるようになってきます。譜面を見ていては演奏できないことが解ってきます。弾けるようになりますと五感が研ぎ澄まされることでしょう。邦楽の演奏は、邦楽器の構造も含め、すべてにおいて繊細です。これを書きながら思いましたが、演奏の自由度が大きいのかもしれません。邦楽にもつ先入観は決まり事が多そうに感じていますが、音の出し方は奏者に大きく委ねられ、自由度が大きいのではないかと。そして、日本、和を強く感じる分野ですので、アート、芸術の世界に身を置いている方には是非接して欲しいものです。洋の東西に関係なく、解るためには勉強が必要です。例えば、ジャズ。アドリブの決まり事などが解ればどんなに楽しいものかと思うことがあります。クラシックもしかり。ロックも! 邦楽も解るためには勉強が必要です。私はまだまだ全然解りませんが、それでも感じることが出来るようになってきました。それだけでも楽しさ倍増です。ある程度解るまではとっても大変だけど、それを乗り越えると無限の広がりを持つ世界が見えてくるのでしょう。写真のことでまだ余裕がありませんが、邦楽の本当の楽しさを少しでも感じれるようになりたいものです。余談ですが、αステーション(エフエム京都)の後藤晃宏さんの番組で、プロデューサーの話も含め洋楽の奥深いいろいろ楽しい話が繰り広げられますので、是非聞いて下さい!

さて、会場。どんよりと空を覆っている雲ですが、雨は上がり、無事到着しました(笑) 初めてこの様な会を聞いたのはいつのことでしょう。『 休憩はいつですか? 』と係の方に聞いた覚えがあります。舞踊、邦楽は、休憩なしの長時間ぶっ通しです。今回も朝10時ごろから夕方5時ごろまで、7時間ほどと予定されています。10分前後の演目が30数演目。番組通り、進んでいきます。三味線は、全員譜面なしで弾いていて、音も出ています。そして注目して聞きたい方々の出番が始まります。

『 二人椀久 』が始まります。お囃子入りの10名による演奏。素人さんは三味線1人で、周りは玄人の方々。素人さんの後見はお師匠さん。静かに始まります。三味線の素人さんが素晴らしい演奏を繰り広げます。一緒に演奏している奏者も、それに応えるように活き活きした音を響き渡らせます。その音色で更に三味線がのってきます。後見役のお師匠さんも、素人さんの陰で自分が弾いているように手を動かし、体が小気味よく揺れています。舞台上の全員が気持ちよさそうです。その音色が会場全体に広がります。素人さんの気持ちが三味線の音色に乗って、会場を覆います。私も体が震えてきて、とっても気持ち良くなります。このような感覚になったのは、祇園甲部歌舞会主催の『 温習会 』(10月1日―6日)で初めて『 素囃子 』を聞いた時以来ではないでしょうか。素晴らしい演奏です。今回一番長い17分に渡る演奏でしたが、まったく時間を感じさせませんでした。拍手もとても大きい。全身が興奮し、演奏終了直後、知人たちとその素晴らしさを話さずにはいられませんでした。しっかりした演奏を繰り広げれば、だれだって感動させることが出来ます。素晴らしかった。音が活き活きして、弾んでました。このような演奏をもっともっと聞きたいものです。緞帳が下りて、素人さんはじめ奏者の方々はどのような様子だったのでしょうか。満面の笑みが想像できます。お師匠さんも嬉しく、楽しかったことでしょう。本当によかった。

この『 二人椀久 』の演奏のことは、私にとって忘れられず、記憶に残ることでしょう。心にガンガン響き届いた演奏でした。三味線の素人さんの気持ちがどうだったか、技量がどの程度なのか私には判りませんが、確かに伝わってきました。足を運んで、本当によかった。ただ、帰りは少しふらついてました(笑) おまけに、しとしとと雨が降っていました。
心で感動し、頭は冷静に (2011年8月15日更新)
写真を撮ることで『 被写体に撮らされる 』という言い方があります。『 被写体を撮る 』ではなく、『 被写体に撮らされる 』です。美人やかわいいものなどを見て、思わず反射的に撮ってしまうようなことを言い表しています。ある種舞い上がって撮った写真は平凡でなんの感動も覚えないものとなりがちです。そうかと言って写真を撮る際に心を動かされ、感動してないと、これまた平凡なものになってしまいます。写真には撮影者の気持ちが写りますので、なんの感情もなく撮った写真にはなんの感動もないものが写っているものです。なんだか矛盾します。

この『 被写体に撮らされる 』ということを日常生活に置き換えると、買い物で衝動買いしたり、とっさのときに慌てふためくことなどと似通っているのでしょうか。衝動買い、その時はいいなと思ったとしても、後日失敗したと思うことが多くありませんか。慌てたらとんでもないことをしてしまうことが多くありませんか。美人やかわいいものを舞い上がって撮りますと、同じようなことになりがちです。風景であれ人物であれ、見慣れないととても新鮮に見れますが、気持ちが舞い上がってしまいますし、見慣れると気持ちが動かされにくくなってしまいがちです。何度も何度も同じものを撮っていますとある種飽きてしまいます。

ここで分岐点が現れることになりそうに思えます。『 目の前のものは初めて見るもの 』と思えるか、『 現実世界は刻々と変わっていき、同じものは決してないもの 』と思えるか。このような見方が出来ますとどんなに繰り返しても何等かの感動を覚えます。それとは別に被写体を前にして瞬時に絞り、シャッタースピード、露出、構図などの設定を計算できるか。この感情と理論性という相反することを同時に進めることが出来るかどうかで、更に上を目指せるかどうかになるのではないかと感じています。全身に宿る心で熱く燃えて感動し、頭で冷静に構図、露出などを決定することを同時に進めることが出来るかどうか。そして『 被写体に撮らされる 』ことは、頭で考えることをお休みさせて、心だけが働いていることではないでしょうか。心と頭を同時に強烈に働かせることは至難のことに感じます。他に目を向けてみますと、特に10代でプロスポーツ選手として活躍している人たちは、相当な技術の上に全体の試合運びを見て、その時々のアイデア、想像力を出して試合を進める。写真を撮ることと同じようなことを感じます。10代でやってのけてることに尊敬します。想像を絶する努力を積み重ねていることでしょう。本当に凄い。(ここで感情をつかさどる右脳、論理的思考をつかさどる左脳うんぬんで記そうとしましたが、『 心 』は全身に宿っているように思えるので右脳、左脳で書くことを止めました。)

一般的に初めて見るものばかりを撮っていればあまり悩まず考えなくていいですが、そうそう新しいものはありません。私はこのことに何度もぶつかりました。カメラを置いて、見ることだけに努めたことも度々です。長い長いトンネルをやっと抜け出せたかという時期です。このことが体全体に浸み込みますと、被写体を見て臆することがなくなります。初めて見るものでも何度も見ているものでも、同じように見ることが出来ます。こうなるとどう撮るかということだけに集中することが出来ます。こんなに嬉しい状態はありません。

最近、大丸京都店で開催されています『 岩合光昭 写真展 ねこ 』(2011年8月22日(月)まで、有料)を見て、『 ねこに撮らされる 』ことを感じましたので、『 撮らされる 』ことにちなんで記しました。『 かわいい 』という気持ちだけで撮ってしまいますと、その時感じたかわいい気持ちは撮れないものです。ところで写真展で気に入ったねこ。色はグレーでしょうか、とってもキュートな『 ブスねこ 』(笑)が、店番かなにかしていて、まるでキャラクター商品のぬいぐるみみたいな造り物に見えるのでした。思い出すと笑ってしまいます。忘れられないな〜(笑) 会場は老若男女、大勢の方でにぎわってました。

さて、心は熱く熱く燃やして感動し、頭は冷静に全体を見て構図、カメラの設定を決め、瞬時に撮る。仕事であるなしに関係なく、求め求められる感動を表現出来る写真を撮りに今日も行くぞ!
写真に写るもの (2011年8月5日更新)
一番好きなフォトグラファーの写真集が見たくなり、とても久し振りに本棚から取り出します。以前にも書いた『 故星野道夫氏 』のアラスカのもの。どれだけ見たことでしょう。アラスカの大地を愛し、カリブーと一緒に大移動し、グリズリーを優しく見つめている星野道夫氏の写真が並んでいます。アラスカの大地となり、空気となり、水となり、そこで生きる動物となり、原住民になって見つめている写真が続いています。

今年は特に原点回帰を意識して撮影を進めています。そして特定の場所を撮ることが多かったのを他の場所もしっかり撮り進めることを意識しています。他の場所を撮るに当たり、その場所を愛し、好きになり、美しくて魅力的な風景として撮ることが出来るだけの力量があるかと、写真を撮らずに歩き回ります。私の中で美しい風景が撮れるだけの力量があるかどうかがとても大切なことと位置付けています。見慣れていない時がすべて新鮮に感じますので撮り易いんですが、長く撮り続けることを考えて、見慣れた風景になるまで歩き続けます。見慣れても好きで撮れるか。美しくて魅力的な写真を撮れるか。

何度もあれこれ見て歩いていますと地元の方が声を掛けてくれます。近づいたり、離れたりしながらなにを見てるのか判らない行動ですので不思議に見えるでしょう。怪しく見えますか(笑) 『 写真を撮れるか、いろいろ見てます 』 そんなことを何日も何度も続けていますと『 なんかあったらどんなことでも言ってや 』 本当に嬉しい言葉です。私の力量で美しくて魅力的な町並みの写真が撮れるようなら、その時、少しづつ話をさせて頂こうと思います。気さくで気楽に声を掛けてくれますが、その重さを感じます。しっかりしたものを撮れない内から、あれこれ話すことは出来ません。度々行けませんが、短時間でも歩き回ります。

どこになにがあるかそこそこ頭に入ったころ、撮り始めます。曜日や時間帯での様子はまだまだ曖昧ですので、車が停まっていたり、ゴミが散乱していることに出会います。そのようなことを受け入れながら、撮り進めていきます。ある場所では時間を考えて取り組みます。時間を読み違い、出直したりしながら、そして美しい写真が撮れています。私の気持ちは話していませんし、まだ、撮り貯めている写真も見せていませんが、『 こんな会を行いますので都合がよければ来て下さい 』と誘って下さいます。ご縁を頂き、風景以外の写真も増えていきます。今の段階で風景の写真を見てもらっても驚かれることでしょう。けど、もう少し撮りたいものがありますので、それらを撮ってから見てもらおうと思っています。撮るからには、撮らせてもらうからには、撮らせてもらえるからには、役に立つものにしたい。出来る限り町に迷惑を掛けず、役に立つものを。そして笑顔で喜んでもらえるものにしたい。

故星野道夫氏の写真集を見ながら、私の写真を見ます。私の写真に優しさや愛が写り込んでいるでしょうか。せめて町に寄り添っていることを感じる写真であって欲しい。
ただいま、気力体力回復中!? (2011年7月21日更新)
7月一杯行われる祇園祭は、中盤からいよいよ後半に入ります。17日に巡行、神幸祭を終えたとき、両足ふくらはぎに針を刺したような痛みが走り、特に左足ふくらはぎはつる寸前。7月入って直ぐ腰に痛みが走り、作品撮影のために予定していた日を用心のためパスし、安静。その後、腰をかばったため、背筋を痛めてしまう始末。

それでもいろんな予定が入っていますので、どんな写真を撮るかと思案し、どこで撮れるかとロケハンをしたりと、兎に角、歩き回ります。体育会系で結構鍛えていますので、その貯金で重い機材を持って走り回ってますが、6月後半の夏日、猛暑日で水分補給を失敗し、軽い熱中症になったのが、体に負担を掛ける切っ掛けになったようです。巡行日の翌日は、空腹になっても動く気力もなく、動けないという状態でした(笑)

8日に梅雨明けしましたが、6月後半からほとんど梅雨明けしたも同然の夏日が続き、35℃以上の猛暑日も何日もあります。猛暑日なんて体温と同じ気温。体はもちません。とんでもない負担です。取り組みが進まない温暖化が原因ですが、今後もっと大変な気候になっていくのでしょう。

厳しい気候の中、走り回り、今、満身創痍。それでも撮った写真のレタッチをしないといけませんので、長時間のデスクワーク中です。写真は最低美しくて綺麗でないといけない。このレタッチで更にそれらを増します。1枚の写真に何時間も掛ることもありますが、これがまた楽しい。私自身もますます魅力的になっていくことが嬉しいのですが、その写真を受け取った人の表情を思い浮かべると手抜きなど出来ません。必要なことならば、見えないから、判らないからと手抜きすることなく、1ピクセル単位で、納得するまで処理をします。祇園祭後半に向かっていますが、このような状況です。そうそう、休憩のときは、8月、9月の撮影のことを考えていて休めません(笑) ただ、ベッドに横たわると寝てしまうこともしばしば(笑)

こんなそんなですが、写真はいいものが撮れていますし、いい出会いもありました。

巡行後昼食をとろうと三条通を行っている時、京都文化博物館で行われている写真展のことを思い出します。18日まででした。セーフ! 会場階に行きますと、係の方が『 今、始まったところです! 』 私は『 ? 』 能楽師狂言方の茂山千三郎氏と写真家ヒロセマリコ氏のトークイベントが行われていました。題目は『 父・千作(人間国宝)を語る 』 これがよかった。昼食をとっていたら聞けませんでした。これも写真の神様の巡りあわせです。

人間国宝の茂山千作氏が『 狂言師としては、まだ小学生ぐらいです 』との談話があるとのこと。このことに対して千三郎氏は、『 名人と言われるくらいになると、出来ること出来ないことが判り、出来ていると思っていたこともまだまだと思うこともあるだろうし、そうなると出来ないことに気付くことが多くなり、まだまだと思うのではないでしょうか 』(千三郎氏の文言はもっと解りやすく的確です。内容もこのようなことだったと思います。) 年齢などによる経験と共にあれこれ試行錯誤することでいろいろなことが見えてくるのでしょう。求める姿は見えているのでしょうか。見えてくるのでしょうか。

芸やアートは到達点のないもののように思えます。有限の人生で、続ける限り試行錯誤することが最低限のことなのでしょうか。ここに本物の姿の一つがあるように感じました。私は考えているようで考えていない。考えないといけないのに、考えていない。直感のようなものはそれまでの経験に裏付けられたもので、新しいことはほとんどと言っていいくらい生まれないのではないかと思えています。それまでの自分にないものを創り出すには、やはり考えないといけないと思えています。私はどれだけの世界を見ることが出来るようになるか。考えて、考えて、考えろ。休んでる暇などありません。ただ、疲れて寝てしまいますが(笑)


追伸
日常は、調子の良し悪しに、どうしても疲労がたまり体調不良ということもあったりします。そんな中で常に試行錯誤し、手を抜くことなく目の前の撮影に臨むことが一番大切なことと思うようになっています。その積み重ねが大切なことだと。求められる結果は最低限保証し、それ以上のものは後からついてくるもの。結果以上に結び付くかどうかは、どんなに取り組んだとしても判らないこと。心は常に熱く燃やし、謙虚に、そして日々、淡々と。最後は、自身を超えて、笑え!
なんて美しいこの世界 (2011年7月6日更新)
目の前で繰り広げられていることは、2度と見ることのない唯一無二のことだと気付かされてから1年経とうとしています。お庭の見方を教えてもらったことが切っ掛けです。

けど、頭で理解出来たからといって、すぐ体が反応するかといえばそうではありません。視覚情報をしっかり分析して、初めて見る光景だと能に理解させることに暫く時間が掛ります。同じ光景は決してないんだということを全身に理解させることに時間が掛ります。それまでも被写体をしっかり見ていたつ・も・りだったことを本当に見るということが出来るようになるのに時間が掛ります。

こんなことを続けていますと、季節、天気、時間などの違い、つまり太陽の位置や状態の違いによる光の柔らかさや影の柔らかさなどの違いが判るようになってきます。数分の違いでまったく光景が変わってしまいます。時々刻々と移り変わっていく目の前の光景、2度と見ることのない光景。人には何故か好き嫌いという判断が働き、この光景でも季節や時間などで好きと感じる瞬間が出来てきます。このことは個人の勝手であって、目前で繰り広げられる自然の織りなす光景は、2度とない美しさの瞬間の連続です。いつであろうと美しい。

そのことを感じる感性があるかどうか、撮ることが出来る技術があるかどうか。ビルや電柱などの人工物に遮られ、それらに気を取られてしまいそうになりますが、目の前に広がる世界をしっかり凝視していますと、人間には決して創り出すことの出来ない美しい世界が繰り広げられています。カメラを操作する技術や構図はとても大切なことですが、同じように被写体を本当に見ることが出来なければ、撮りたい写真を創ることは出来ないでしょう。このしっかり見るというか深く見るということを体が結構覚えてくれたようで、自然に出来るようになってきています。とっさのときでも体が自然に反応するようにしたいものです。

撮影の幅が広がります。無限にあるということ。感性次第でどのような写真でも撮れるのでしょう。これで写真を撮るという基礎が出来たのでしょう。これからは応用で、作品作りそのものになっていくのでしょう。光景がとんでもなく広がります。自然の織りなすこの世界の美しさを全身で感じます。時々刻々と移り変わっていく瞬間のなんて美しいことか。

大好きなフォトグラファーの上田義彦さんや藤井保さんを遠くにですが意識出来るようになっています。ますます写真漬けで、200%、300%取り組まなければ。写真は奥深く、アートです。


追伸
6月23日に梅雨前線が日本海に抜け、前線でなくなり、気温は33℃。24日には前線が完全に消えています。そして気温は34℃。29日は36℃。この時に、水分補給を怠り、軽い熱中症になってしまいました。また、昨夏はエアコンを入れませんでしたが、今夏は6月中に2回も入れてます。

そして7月だというのに『 ホ〜ホケキョ 』とウグイスが鳴いています。山でなにか異常が起こっているのでしょうか。消えた前線が再び発生しています。こんなことは普通のことなんでしょうか。梅雨も空梅雨のように感じます。雨が降っているところは豪雨。温暖化が異常な季節を演出しているように感じます。

今後、どうなっていくのでしょうか。原発運転停止による電力不足に対応するための節電に日本中で取り組まれています。もっと深刻な温暖化。こちらはほとんどといっていいほど目に見える取り組みを感じません。もっともっと暑くて異常な夏になり、取り返しのつかない状況に向かっているのかもしれないのに。それも地球規模で。
日々、淡々と (2011年6月27日更新)
花街に『 風景 』を撮りに行くことが少なからずあります。特に祇園は町屋など多く残り、大勢の観光客が訪れます。観光客が比較的少ない路地裏などで、ここを大勢の芸舞妓さんらが行き交っていたんだな〜などと思いながら撮ったりすることが好きです。

そういったところばかり撮っている訳にもいきませんので、大勢の観光客に混じって、三脚を立てて撮りたい瞬間になるのを気長に待つこともあります。三脚に一眼レフ、これがまた人を呼びます。観光客は撮影ポイントみたいに思うようです。人がいない瞬間を待っているのですが、悲しいかな人が増えます。太陽の位置に光など陰影を気にしながらも、私だけの場所ではないですので、兎に角、の〜んびりと待ちます。

そうこうしていると、設定した構図の中である人が少しずつ輝きだします。人がいない静かな雰囲気の写真を撮りたくて待っているときに、大勢の観光客の中で輝きだす人が出てきます。最初、人は入れたくないと思っていても、『 あ〜この人は雰囲気があって面白いかな 』と思えてきます。そして大勢の観光客がいるのに、ぽっかりと穴が開いたように一瞬、私とその人の2人だけになることがあります。すかさず露出など確認してレリーズでシャッターを切ります。そして再びなにもなかったかのように大勢の観光客が行き交います。

またある時、立ったり座ったり、前に出たり後ろに下がったりと気に入る構図がないものかとあちこち探しているときに、思ってもない強烈なモノが目に飛び込んできます。広い構図にそのモノがどんなに小さくても存在感十分に撮ることが出来ます。考えてもいないものが突然現れることがあります。

人は写真の神様の化身の『 女神 』で、モノは写真の神様の『 贈り物 』と思っています。夢みたいな瞬間に出会います。興奮の余り、涙が出てきます。

写真の神様が私に言っているようです、『 技術、感性を磨いているようだから、少し機会を与えよう。撮れるかどうかは、お前次第。気付くかどうかは、お前次第。 』 そして、写真の神様は教えてくれているようにも感じます。『 あることにこだわり過ぎるな。常に柔軟な思考で臨め。 』

人がいない風景にこだわってしまうと、魅力的な人の存在が見えなかったりしてしまいます。ロケハンのときも実際に見てから判断しろと。前回なんでもないように感じたところでも、新たに見直してから判断しろと。

特に風景を撮るときは、あちこち歩き回りますので、疲労困ぱいしてしまいますので、もういいやと思うことも多々ありますが、その都度、『 お前の気持ちはそれだけか、そんなものか 』と写真の神様の声が聞こえてきます。そしてなんとなく気になるところが視界に入ってきて行ってみよかと行き、感激する場所にたどり着くことがあります。頼むなり、前もって教えてもらうなりしないと出会えないような光景が目に飛び込んできます。

こんなそんなしながら、様々なものが見えてきて、それらのことを意識して活かせるように対応していると、写真の神様が現れます。願ってもない瞬間に出会えます。太陽の位置、陰影や風などの自然の営みから、その時その場所での状況など様々なことを考えて対応出来るようになると、とても美しくて綺麗な写真を撮らせてもらえる瞬間に出会えます。まだまだ意識、感性の及ばない、とても素敵な瞬間が身の回りにはたくさんあるのでしょう。それらをもっともっと自然に感じられるようになりたいものです。

それに仕事で撮影する場合には、どうしても確実で安全な方法を選んでしまいがちです。写真を撮り始めた頃は、未熟な技術からなんですが、カメラの設定を怖いものなしに対応して、勢いのある写真が撮れていたものです。最近、確実な設定で撮りつつ、部分的に攻めの設定で撮るようにしています。後者の設定はシャッターを多めに切らないと難しいけど、その代り、ドキッとするものが撮れることが少なくありません。安定志向の設定だけでは面白さも自分の中で半減してしまいますし、結局本当に納得出来る写真も撮れてないことにもなっているのかもしれません。確実性の中での不確実性の大切さも感じています。

自分自身の中での攻めの姿勢とでもいうのでしょうか、そうすることによって写真の神様が微笑んでくれるように思えるようになっています。撮り終わったときに心身ともにヘトヘトですが、必ず写真の神様が微笑んでくれています。その日その時に出来ることを精一杯臨めば、写真の神様は必ず微笑んでくれるのでしょう。そして無限の可能性を感じることでしょう。
『 現実 』を真正面から受け止めて、考えて、考えて、考えろ (2011年6月12日更新)
私は笑顔になる写真を撮ることを常に考えています。美しくて、綺麗で、リズムがあってとどうしたら笑顔になる写真が撮れるかと考えています。仕事なら依頼主が笑顔に、仕事以外なら撮らせてもらった方が笑顔に、個展ならそれを見てくれた方が笑顔になることを考えています。笑顔にもいろいろな意味があります。

けど、寂しくて、悲しくなる出来事に出合いました。撮らなければ、それで済むことでした。知らない振りをしていれば、それで済むことでした。しかし、私にとって、とても恩のある方です。大切な方です。いつも笑顔で、会えば必ず声を掛けてくれた方。いつでも、どんなときでも。その方は、いつからか笑顔が消え、険しい顔をしていることがありました。なんとなく気になっていたけど、そのまま時は過ぎて行きました。そして、今回です。私に出来ることは写真に収めること。しかし、こんな悲しいときにカメラを向けることの『 暴力的な感覚 』。なにを撮るのか解らないまま、何度か撮らせてもらってます。恩返しみたいにならないかと思って、その方に渡すことだけを考えて、撮っていました。とっても優しい方ですので、気が向かなくても許してくれただけかもしれません。

常々、『 人にカメラを向けることの重さ 』を考えて、行動しています。カメラや写真があふれている世の中ですが、友達同士、知り合い同士ならばとっても身近に気楽にカメラを向け写真を撮りあって楽しいですが、そうでなければまったく話は別です。ある程度の信頼関係がなければ、おいそれとカメラを向けることは出来ないものです。人を撮る場合には特に大切になります。信頼関係のない人にカメラを向けても、ある種の感動を感じるものは撮れないように感じています。コンテスト入賞作品を見ていて、明らかに嫌がっていると感じるものが少なくありません。審査員はなにを見ているのかと思うものが少なくありません。

そんなこんなを毎日のように考えています。そして今回。その時の私に考えられることは、笑顔にならないかもしれませんが、相手の気持ちや生き様を撮ることを考えることに一途の望みを託すしかありませんでした。同じ頃、五世井上八千代お家元主催の『 澪の会 』を見ていて思ったことがありました。写真が日本に紹介されたころ、『 命が取られる 』と思われていたようです。命を取るつもりの『 覚悟 』で、その時の相手の心を、気持ちを、生き様をしっかり撮ることを考えることが大切になってくるのではないかと。

それから、楽しい時だろうと悲しい時だろうと場面に関係なく『 カメラを向ける重さ 』に違いはないんじゃないかと思えてきています。どんな時でもカメラを向けるのに最低限必要なのは、やはり信頼関係があってのことでしょうか。信頼関係は、最低限の条件ではないでしょうか。悲しいときには、楽しい時よりこの信頼関係がより強く求められてくるのではないでしょうか。また、楽しかろうが悲しかろうが場面に関係なく、カメラのシャッターじゃなく、『 心のシャッター 』を切るだけに留めなければならないことがあると思うことがあります。どんな場面であろうと、臨み方は同じじゃないかと思うことが強くなっています。

今回、そういった心構えがあったか。決意があったか。悩み、苦しみ、あれこれ考えながら、気持ちがまとまらずに撮っていました。必死に見て、撮っていたことは確かです。写真には撮影者の気持ちが写ります。悩んでいる私の気持ちが写っているかもしれません。撮った写真をじっくり見るのはこれからですが、幸いにもとっても綺麗で美しく感じるものも撮れています。無意識に雑念なく、撮れていたのでしょうか。無意識の意識、これもとても大切です。様々な感覚が無意識に表れるようにならなければ本物にならないように感じます。

楽しい時の写真は笑顔になるけど、悲しい時の写真を見るときはどんな顔になるのでしょうか。悲しいだけでは、寂しいです。悲しい時の写真であっても、気持ちや生き様を撮ることが出来ていれば、『 緊張してる顔だな〜 』、『 感謝を込めた、しっかりした気持ちのこもった挨拶が出来てる、よし! 』、『 終わったって少し寂しそうな顔してるな〜 』などと思い出し、しっかり生きていることを思い出し、それはそれで笑顔になりそうにも思えます。

こうやって考えますと私の人間としての未熟さを感じてきます。付き合いが中途半端なんです。未熟な者には未熟な写真しか撮れない。まだまだ全然、人を撮ることを語るに及ばないことを感じてきました。まだまだ全然です。切っ掛けみたいなものを感じることが出来たのが、せめてもの救いです。そして、もっと、もっと撮れることを感じています。どんな場面であれ、心から笑顔になれる写真を撮れるようになります。そして、仕事であろうとなかろうと、このフォトグラファーは必ず、美しい綺麗な写真を撮ってくれるという信頼をもってもらえるようになります。

最後に誤解されないように書いておきますが、いろいろな雑誌など見ていて、現時点の私の写真でも断然綺麗で美しいものを撮っています。ただ、私が目指すところは、もっと違うところにあるということです。

追伸
『 ホ〜ホケキョ 』 冷気を感じる朝や夕方に綺麗に鳴いているウグイスがいます。もう、6月の半ばだというのに。たまにゆっくり出来るときに聞こえてきていますので、毎日のように鳴いてるのかもしれません。季節はどうなってるのでしょうか。

写真を撮ることは、命を削って撮っているように感じることがあります。私の場合、人生の節目などを撮らせてもらっている場面が多いですので、常に全力です。人間ですので、調子がいい日、悪い日がありますが、そんなことなんか関係なく、気力を傾けて臨むようにしています。今回の日記に書いた場面は初めてでした。書いた通り、悩み、苦しんでいます。心身ともにとても疲れています。とても疲れていますが、大きく成長したいものです。
ちょいばな〜!? (2011年5月29日更新)
最初に一番楽しみにしている写真展の宣伝! あの『 丹平(たんぺい)展 』が開催される時期を迎えています。プロ集団のクラブ展です。この写真展を見てもらえば、『 なんや、この写真は! 』と驚かれ、写真表現の可能性の凄さを絶対感じてもらえます。私が写真の世界に引きずり込まれた切っ掛けのプロ集団です。私の実力は上がっていますが、このプロ集団を前にしては赤子同然です。しかし、日々、真っ向勝負で写真と取り組んでいます。私はこのプロ集団に一目置いてもらえるようになります。兎に角、凄い写真展でアート展です。なにがなんでも必ず見て下さい!! 会期など判りましたら、掲載します。


特別な挨拶回りの日。出発まで中で撮らせてもらったりとあれこれ撮影させてもらいます。挨拶回り中、様々な構図を考えながら撮り進めます。そして私がお世話になっているお茶屋さんの中で待ち構えます。その人は敷居を踏まないようにと下を向いて入ってきて、顔を上げ、『 え〜〜〜 』という眼(まなこ)を見開いた表情。『 あれ、なに、うんと、どうなってるの 』 私のことをフォトグラファーなんでしょうとは思っていても、なんでお茶屋さんの中にいるのか解らないようです。まずは成功!! 本番は、こ・れ・か・ら(笑) 黒紋付きの特別な装いの日にお茶屋さんに上がるようにしています。お茶屋さんに頼んで、私だと判らないように置屋さんにお願いしてもらっています。女将さんはこういったちょっとした遊びも好きで、楽しそうに対応してくれます。そして、当日。私にとって初めてお茶屋さんで少しばかりしっかり撮影させてもらうことをお願いしています。玄関で数カット撮らせてもらいますので、短時間で済むよう上がらずに待ちます。履物の音が聞こえてきます。玄関が開き、私を見て、『 あれ? 』っとなんなのか理解出来ない様子(やった!)。そしてそそくさと撮影します。『 お座敷で挨拶を受けて下さい 』と女将さんが促します。私が上がり、お座敷に向かいます。その人はまだ『 あれ?、あれ? 』ってな感じです(笑) 『 よろしゅう、おたのもうします〜 ○×どす〜 』(こんな感じだったと思います) そして納札を頂きます。『 驚いた! 』と聞きますと、照れ笑いしながら『 へえ 』 大成功!! 実は置屋さんも私だとは知らなくて、後日、大笑いをしています。カ・ン・ペ・キ(笑) 女将さん、おおきに〜


大きめのサングラスを掛けた、美人の女性がしずしずとこちらに歩いて来ます。どこからか『 綺麗なお姉さんは、好きですか? 』と聞こえてきます。『 なにいってんの〜 だ〜い好き〜 』とこれを書きながら叫んでます(笑) その時の私はきっと口を開け、鼻の下をのばし、『 アホヅラ 』で、『 うわ〜綺麗で格好いい人だな〜 』って眺めてたことでしょう(笑) 近くに来たとき、『 こんにちは! 』 『 え〜〜〜、○×さん!? 』 大きなサングラス、髪型でまったく判りませんでした。髪のセットに来られたのです。セットが終って出てきてまたまた驚きです。『 来たときの髪は、ウイッグ? 』 もちろんウイッグではなく、地毛です。どうやってあの髪型からその髪型になるのと驚きです。美容室の先生曰く、『 これが技術 』 かっこいいですね〜


とあるところをどうやってかっこよく撮るかとロケハンをしていたときのこと。お茶屋さんの女将さんが出てきて、『 今日はなにもないけど? 』 花街に行くと大概芸舞妓さんを撮りに来たと思われますし、なにか行事が行われるときに来ると思われます。そうそう、『 今日は何があるの? 』って聞かれます。私は風景を撮りに行くことが結構多いんですけど... ここでかっこよく私は言います(笑) 『 なにもないときでも素晴らしい写真を撮る人が本物なんです。凄い人はなにもないときでも素晴らしいものを撮るものです。負けないようにあれこれ見ています 』 女将さんは『 そんなもんかいな。なんかあったら、なんでも聞いてや 』 有難いお言葉です。けど、安々とお話することは出来ません。今、撮影しようとしていることで納得出来るものが撮れない限り、前には進めません。逆に近い将来、納得出来るものを撮ってみせると思っています。女将さんたちがそれを見て喜んでくれたら、あることを相談したいと思っています。進めるのなら全身全霊をもって事に当たらなければと思っています。遊び心ももって、本気で。


京都は5月26日(木)に梅雨入りしたようです。例年は6月6日ごろで、12日早いとのこと。この半世紀で2番目の早さとか。梅雨明けは、7月21日(木)ごろとのことです。さて、昨今の温暖化の影響がどう出るか。京都の梅雨明けは祇園祭の山鉾巡行(7月17日)ごろと言われていて、21日ごろならそんなもんかと思えます。しかし、梅雨の時期が早まってることも考えられます。雨の降り方もどうでしょう、数年前のゲリラ豪雨のようにならないとも限りません。今年の梅雨は、どんな風景を見せてくれるのでしょう。温暖化は進んでいます。人が生活していけるよう進行が少しでも遅くなるように、そして回復するように取り組みましょう。
勝手な想い (2011年5月15日更新)
写真は絵と違って撮らないと始まりません。絵ならあれこれ考えて描くことが出来ますが、写真は念写など出来ません。

私は、相手が疲れていたり、しんどそうにしているときには撮らないと決めてい・ま・し・た。少し前、こんな状態ということを重々判った上で、それもお願いしてまで撮らせてもらいました。気付かなかっただけかもしれませんが、その方は嫌な顔一つしませんでした。

写真の中のその方は、疲れていますし、短い睡眠などで顔は少しはれぼったくて、こんな写真を見直すことがあるのかと思うもの。

私は思い出や記念などのために写真は撮りません。その時々の生き様だったり、気持ちなりを捉え、行き詰まったり、しんどかったりしたときに写真を見て、なにかを思い出してもらえるようなものを撮ろうとしています。思い出として写真を見るのは、人生の最後でいい。今回、そういった写真を撮りたかったけど、あまりにも時期が悪かった。他の撮り方や他のものを撮ることで表現出来るものでもないし、他に撮る機会がありませんでした。これそれ私の勝手な話です。

知ってる人だからと無理を言って撮らせてもらった笑顔にならない写真。私は見る度に泣いてしまいます。考えるだけで泣いてしまいます。写真の中のその方は、静かに写っています。

どうして撮ったのか。撮ってよかったのか。ずっと考え続けました。簡単なことでした。私が間違ってただけです。身勝手な想いだけで撮らせてもらっただけです。やっぱり、撮ってはいけなかったんです。

望まれない限り、心のシャッターを切るだけにとどめなければならなかった。間違ってました。
2011都をどりチケットについて (2011年5月6日更新)
新緑輝く若葉の季節を迎えてます。いまだに1万人を超える行方不明者、予断を許さない地震による原発事故を招いた大震災から2ヶ月になります。正真正銘の命がけで収束させようとされています世界で最悪の原発事故の行く末が心配されます。

都をどりのお稽古が始まっている中での出来事。笑顔が消え、交通網の寸断などで厳しい春のをどり、都をどりでしたが、関係者並びに来場者を含めて、無事千秋楽を終えています。会期中、全回で義援金募金に芸舞妓さんが呼びかけたりと関係者に出来る取り組みを実行されていました。収益の一部も募金に回されます。1日4回、1ヶ月に亘る公演。ただでも心身ともに厳しい公演に、見えない重責を背負い、終えることが出来ています。

今回もお問い合わせ頂き、ありがとうございました。被災され『 行けません 』とメールを頂いた方もいました。今度、京都が桜色に染まる頃、舞台のみならず会場も皆様の笑顔で桜色一色になることを想像しています。

個々人に出来ることは有限です。ひとつひとつを積み上げることが一番大切なことでしょう。しんどいときは空を見上げ、深呼吸をして、ぼちぼち行きましょう。笑顔になれる瞬間が少しでも増えますように。本当にありがとうございました。今後も宜しくお願い致します。

追伸
先斗町では春のをどりを締めくくる『 鴨川をどり 』が始まっています。新緑美しい京の町並みを楽しみながら、はんなり艶やかで可愛らしい芸舞妓さんの舞台を是非お楽しみ下さい。


春のをどり

鴨川をどり ( 先斗町歌舞会尾上流 )
2011年5月1日(日)−5月24日(火)
『 鴨川をどり 』、前夜祭 ( 京都新聞 、2011年)
衣装合わせ ( 京都新聞 、2011年)

2010年5月1日(土)−5月24日(月)
『 鴨川をどり 』、前夜祭 ( 京都新聞 、2010年)
衣装合わせ ( 京都新聞 、2010年)


秋のをどり

祇園をどり ( 祇園東歌舞会藤間流 )
2011年11月1日(火)−11月10日(木)

2010年11月1日(月)−11月10日(水)
『 祇園をどり初日 』 ( 京都新聞 、2010年)
衣装合わせ ( 京都新聞 、2010年)
空想・妄想・大暴走、ヨーイヤサー(笑) (2011年4月25日更新)
その日がやっときました。天気予報では夕方から雨になりそうです。朝夕、冬を感じさせる寒さのせいでしょうか、満開になった桜は長く咲き誇っていましたが、4月半ばを過ぎた今は相当散ってしまいました。

ここ数年、桜を撮るようになってから本番観覧初日は、桜の見頃を終えたころにしています。『 しゅうらい(習礼) 』以来、やっと見ることが出来ます。少しは見ることが出来るようになってきた芸舞妓さんの舞やお囃子から、各景の振付や舞台構成などをそれこそ穴が開くほどガン見して楽しむつもりです(笑) そして今回舞台に取り上げられているところで須磨が縁遠いだけで、あとはよく知っているところ。とても身近に感じて見ることが出来ます。

いよいよ始まります。『 み〜や〜こ〜を〜ど〜り〜は〜 』、今日は地方(じかた)さんのどなたが言ってるのかと東側、上手を見ます。東西をどり子の芸舞妓さんが舞台裏で『 よ〜いやさ〜 』と答えて、両花道から登場です。上手、下手に花道がある珍しい舞台。近い西花道を見つめます。しずしずと花道に全員登場して、舞始めます。柳桜の花団扇を持ち、狭い花道で入れ替わりながら、こともなげに舞います。大好きな銀襖の第一景。登場からこの銀襖までは、都をどりが始まって以来ほとんど変わらず続いているもの。積み上げられてきた歴史をとても感じ、毎回、何回見ても鳥肌が立ちます。

第二景の飛雲閣は、金閣(金閣寺じゃないですよ!)、銀閣(銀閣寺じゃないですよ!)の三名閣で、豊臣秀吉が聚楽第に造ったというもの。西本願寺の東南で堀川通り沿いに見ることが出来ます。特別拝観されますので是非見て下さい。

第三景の伏見稲荷大社の田植祭は人気の行事で、大勢の観光客が押し掛けます。6月に神田で田植えが行われます。私のhpにも掲載しています。

第四景の大田神社の杜若(かきつばた)。上賀茂神社の東側で近くです。以前、近くに住んでいて、咲き誇っている杜若を見ていましたが、そのころはあまり興味がなく、それだけのことでした。贅沢なことでした。どのような年齢であっても、自然の営みを敏感に感じる感性をもちたいものです。なにげない身近な日常を大切に出来るようになりたいものです。老若男女に関係なく、そのようなことを感じてもらえる写真を撮っていきたいものです。さて、この景は舞妓さんだけで舞います。都をどりで舞妓さんだけによる景は珍しく感じます。これまで中挿(なかばさみ)では、芸妓さんが主で舞妓さんが従のように舞っていたように思えます。以前からあったのでしょうか。まだまだ全然、勉強や見方が足りません。

第五景の須磨浦の景で行平が花道のセリから登場します。宝塚の男役を感じます。スポットライトに照らし出され、強い影が出来ます。格好いいなー 舞台はいいなー

第六景の東本願寺、秋の渉成園は総をどり。色鮮やかな紅葉につつまれて、東西をどり子の芸舞妓さんが舞います。をどり子が退場し、晩秋の渉成園に雪が降り出します。初冬の余韻を残して、円通寺の景へつなぎます。このような効果はこれまでにもあったのでしょうか。とても新鮮に感じます。やっと舞台を楽しむことが出来るようになってきたようです。そして、もっと勉強をしなければと思います。

第七景は、冬の円通寺。『 借景の庭といえば円通寺 』、『 円通寺のお庭は絶対見なければいけない 』と造園のプロの方に聞いていました。都をどりに取り上げられていることもあり、直前の3月に行っています。都をどりから離れますが、円通寺と比叡山の間に高層ビルの建築が計画されていたのが景観条例が作られてどうにか回避されたとか。それでもここ2、3年で住宅地の開発が進み、景観が壊されてしまっています。無形有形に関わらず、文化や芸術に対する希薄な取り組みにとても悲しくなります。破壊は一瞬ですが、修復するには気の長い時間が必要になります。円通寺ご住職の地道な取り組みが垣間見れます。

都をどりに話を戻して。この円通寺の景の芸妓さんたちの『 美の競演 』にドキドキします。あっ、目が合った(ドキドキ)、きっと、恐らく、たぶん、気のせいですね。あっ、今度は別の芸妓さんと目が合った(ドキドキ)、おっ、あの芸妓さんとも(ドキドキ)、きゃー、今度はこの芸妓さんと合った(ドキドキ)。目を合わせ続けられなくて、目が泳いでしまいます〜(笑) 目なんか合ってない、済みません、気のせいです(笑) あっ、また合った(ドキドキ)。そんな訳はないですよね(笑) あーそれにしてもこの舞台を見るのは大変です。美しくて、綺麗で、色っぽくて、もし芸妓さんたちに囲まれたらどうなることか。考えるだけで疲れてしまいます(笑) そんなことはないない(笑) なーに考えてんだか(笑) こんな楽しみ方も許して下さい(笑) あー大変だ(笑) 『 吉川さ〜ん、なに考えてんの 』ってどこからか聞こえてきそうです(笑)

少し舞の話。3人の芸妓さんの舞から始まり、そして6人の芸妓さんの舞になり、前後左右に分かれて、それぞれ舞ます。縦横斜めと広がりや奥行きがより感じられ、面白く新鮮な振付に感じてます。

そして第八景の知恩院の春。東西をどり子の芸舞妓さんたちが舞っている中に中挿(なかばさみ)の芸舞妓さんたちが加わり、全員で舞います。満開の、見頃を迎えた桜の季節を感じます。舞台がここぞとばかりに桜色に染まります。心が生命で充ち溢れ、歓喜を感じます。

他にも振りや動きで面白く感じるところが随所にありました。京舞井上流を見ることが出来るようになるのはまだまだ先のことですが、少しは感じることが出来るようになってきたようです。持ち物をもった、どちらかというと派手な動きに目が行ってしまいがちですが、なにげない手の形や姿勢、足の運びの美しさに、見た目の感情をそぎ落とした直線的な動きに美しさを宿らせる京舞井上流。都をどりという華やかな世界の中にやっとその一端を感じることが出来るようになってきたようです。そして五世井上八千代お家元のもと全員女性のお師匠さんによって創られる振付。他の花街のをどりの振付の違いもなんとなくですが感じるようになってきました。流派に関係なく、舞踊を楽しめるようにもなってきたようです。

そして今回連日全回、芸舞妓さんたちが義援金募金を呼びかけています。1日でも早く、1人でも多く、都をどりの舞台を楽しめる日が来ることを祈ります。ただでも1ヶ月という厳しい舞台に重責を担っている芸舞妓さんをはじめ舞台関係者が会期中無事に勤められますことを祈ります。

桜の花が散り、新緑の若葉が出てきています。既に花が咲く準備が始まっています。今度、桜色に染まるころ、みんな笑顔で迎えられますように。
桜のころ (2011年4月16日更新)
最近、とても緊張し、そして感動した撮影を行っています。一生に一度という装いや似たような撮影はこれまで行っていましたが、1年に幾度とない正装中の正装ですので、私にとってはある種あこがれです。

前日、これまで撮ったものを参考にどう撮るか考えようとしていました。しかし、目の前にしたときの感性を大切にしようと前もって考えることを止めます。相手をしっかり見て、なにを感じるか集中することに全力を傾けることにします。

その日は朝からの撮影です。桜も一気に見頃を迎えている時期で、撮りたい場所もありましたので、7時半ごろから撮っています。何カ所か撮って約束の時間に伺います。

落ち着いた照明の場所での撮影。ホワイトバランスと露出の確認を行います。色温度から照明は電球色の蛍光灯。電球で登録されているもの、マニュアル設定、オートのどれで行うかなどをささっと決めていきます。ストロボの色温度も決めます。フラットな光ですので、表情や動き重視で撮り進めることとします。短時間ですので考えてる時間はなく、瞬間瞬間を感覚で撮り進めます。そんな中、特別な形の装いを目の前にしたときは、鳥肌の立つ感動を覚えます。着付けが終わりますと、時間が迫っているようで、飛んで出掛けて行きます。

次まで暫く時間がありますので、気になっている桜を見に行きます。つぼみの多い桜もありますが、見る位置によっては十分絵になりますので撮影します。それにしてもこの時間になりますと、人、人、人でいっぱいです。普通に歩けません。一瞬うんざりしかけましたが、京都の春はこうでないとと思い直します。多くの人たちが京都の春を楽しむことはいいものです。日本中の人たちに京都を楽しんでもらえる日が早く来ることを祈ります。

そして晴れの舞台に向かいます。大勢のお客様が見えられています。一人は椅子を温める時間もないほど行ったり来たりしています。大勢の人たちの動きを見極めながら撮りますので、緊張します。どんな状況であれ、美しさを感じるものを目指します。美しさは、最低条件で必要条件。どうにか撮り終えます。

これで準備から本番まで撮り終えました。アートは好き嫌いの世界ですので、今の私に出来ることはここまで。1枚でも喜んでもらえるものが撮れていますように、そして笑顔が見れますように。

さて、これで終わりたいところでしたが、まだ撮りたい桜があります。ギャラリー巡りなどをしながら、時間を待ちます。長い一日になりました。
2011都をどりチケットについて (2011年4月13日更新)
都をどりが開幕して中盤で、折り返しを迎えようとしています。そして先週末から京都は一気に桜色に染まっています。ここかしこと大混雑で、鴨川名物の等間隔にずらりと並び座った人、人、人。様々な思いを秘めながらも笑顔が春色に染まり、暫しゆるりと過ごしています。

東日本大震災から1ヶ月が経ちました。日に日に明らかになる被害状況に、収束を見ない原発事故。そのような中、春のをどりが、都をどりが行われています。ただでも心身ともに厳しい舞台に、更に重圧が掛ります。自分たちに出来ることを精一杯行うとの決意を感じます。人々の心を温かくし、笑顔にする舞台。どうか多くの方々に見て頂けますように。会期中、義援金募金や収益の一部を義援金として寄付されるなどの取り組みも行われています。

今年も都をどりチケットを正規価格にてお譲り出来ます。今回で9回目です。是非、京都の春を楽しんで頂ければと思います。歌舞会からキャンセル待ちなどと言われた方、これからという方も、ご相談下さい。今年も宜しくお願い致します。( 2011都をどりチケット申込み詳細 )


春のをどり

北野をどり ( 上七軒歌舞会花柳流 )
2011年3月25日(金)−4月7日(木)
『 北野をどり 』、前夜祭 ( 読売新聞 、2011年)
衣装合わせ ( 京都新聞 、2011年)

都をどり ( 祇園甲部歌舞会京舞井上流 )
2011年4月1日(金)−4月30日(土)
『 しゅうらい (大ざらえ) 』 ( 京都新聞 、2011年)
衣装合わせ ( 京都新聞 、2011年)
3本山『 そろい踏み 』 ( 京都新聞 、2011年)

京おどり ( 宮川町歌舞会若柳流 )
2011年4月2日(土)−4月17日(日)
『 京おどり 』、前夜祭 ( 京都新聞 、2011年)
衣装合わせ ( 京都新聞 、2011年)

鴨川をどり ( 先斗町歌舞会尾上流 )
2011年5月1日(日)−5月24日(火)
『 鴨川をどり 』、前夜祭 ( 京都新聞 、2011年)
衣装合わせ ( 京都新聞 、2011年)
2011都をどりチケットについて (2011年4月2日更新)
3月31日、舞台衣装を着け、背景や照明などすべて本番と同じで、ご贔屓筋を招いて最終確認を行います。そう、都をどりの『 しゅうらい(習礼) 』です。大ざらえ(*1)と報道されています。立方の立ち位置や照明効果など細部に亘って確認されます。

1ヶ月に亘る公演。東日本大震災の中での開幕です。ただでも心身ともに厳しい舞台に、更に重圧が掛ります。自分たちに出来ることを精一杯行うとの決意を感じます。人々の心を温かくし、笑顔にする舞台。どうか多くの方々に見て頂けますように。会期中、義援金募金や収益の一部を義援金として寄付されるなどの取り組みも行われています。

3月28日には、桜の開花宣言が出されています。早咲きの桜では既に7、8分咲きと可憐な花をつけています。寒い日もありそうですが、来週半ばから週末ごろに京都は桜色に染まってくるのではないでしょうか。

今年も都をどりチケットを正規価格にてお譲り出来ます。今回で9回目です。是非、京都の春を楽しんで頂ければと思います。今年も宜しくお願い致します。歌舞会からキャンセル待ちなどと言われた方も、ご相談下さい。( 2011都をどりチケット申込み詳細 )

*1:祇園甲部内部では、都をどりで大ざらえとは言いません。秋の『温習会』では大ざらえ(大復習)という言い方を使います。
気持ちは伝わる (2011年3月28日更新)
コンサートやイベントが中止や延期されたり、予定通り行われたりしていますが、私はどちらも支持します。なぜなら、どちらも被災地のことを想った上で決断したことですから。中止や延期するのもしんどい、予定通り行うこともしんどいんです。みんな気持ちは同じだと思います。主催者がいろいろなことを想い、考えて決めたことですので、結果がどうであれ、私はそのことを支持します。

そして今後、将来を見据えてどうしたらいいのかを、立ち止まらずに早急に考えないといけません。日本の現実は不況です。そしてこの大震災でもっと大変になります。復興支援するにも不況で減っている財源。今回のことで更に財源が減ることでしょう。財源確保のために時限立法で消費税増などの増税の話が出ています。増税すれば消費が更に冷え込む恐れがあり、今以上に不況になるかもしれません。どうするのか、踏ん張りどころです。(阪神大震災は5年間で5兆円。今回の大震災は10兆円以上数十兆円と言われています)

先日、被災された知り合いからメールが届きました。家が流されたり、身内に行方不明者がいるものも含めて14日から仕事が再開されているとのこと。被災地の方たちは考えたり休んだりする時間もなく、目の前の現実と向き合わなければいけなくなっています。心と現実が相反する今、どうしたらいいんでしょうか。


少し前、あるライブに行きました。3週間ほど前に予約を入れています。そして大震災。心が張り裂けそうで、悲惨さに打ちのめされました。疲れている心をゆったりした空間で開放したくて、一時の時間を特別な気持ちで楽しみにするようになっていました。

いろいろなコンサートやイベントが相次いで中止や延期になっていますので、場合によっては中止になるのではと気が気ではありませんでした。ボーカルは被災地、観客、一緒に立つミュージシャンや世間の心情をとても大切にされますし、演奏するミュージシャンも苦悩葛藤で演奏を楽しむどころではないかもしれません。

そんなことを思いながらも暦を見て、あと5日、4日、3日とその日をとても待ち遠しくしていました。なんだか、子供が遠足を楽しみにしているような感じでしょうか(笑) 当日が来ても、中止になりませんようにと祈ります。

そしていよいよ開演時間。箱は補助席もでるほどの満員です。ピアノマン、ベーシスト、ドラマーが登場して演奏が始まります。暫くして、ベースソロが始まります。ベースのアドリブにピアノマンが『 おっ 』という表情を見せ、『 ニヤッ 』と笑います。次いでドラマーのアドリブが始まります。ピアノ、ベースが応えながら、ピアノマンが次は俺の番と待ち構えていますが、ドラマーはもう少したたくからとなかなか渡しません。見ていて面白い。そしてピアノソロと続きます。

曲が終って、ボーカル登場。MCで楽しませてくれますが、考え考えでいつもの滑らかさがありません。このライブの前に『 義援金イベント 』に出たりと、連日とても忙しく活動されていますので、疲れを感じます。そして、歌います。みんな楽しそうに、歌い、演奏します。

心が、気持ちが、とても楽しくなってきます。

半ば過ぎたころでしょうか、ギタリスト登場です。全国ツアー中でしたが、震災のことを想い、暫く中止になり、京都に来ているということでした。初対面でリハなしのぶっつけ本番、チューニングも『 ラを下さい! 』とピアノマンにお願いしてささっとやってしまいます。プロなら当たり前なんでしょうが、凄いなと見つめます。ギタリストの演奏が始まります。演奏しながら、微妙なチューニングを行います。またまた、凄いな〜って感動します。譜面もその時初めて見て、そしてみんなと一体になって奏でます。みんなの目配せで、曲の締めをギタリストに任せます。ギタリストは表情で『 ありがとうございます 』と答え、みんな笑顔で応えます。

音楽っていいですね。プロミュージシャンは凄いですね。譜面を見ただけで当たり前に演奏して、そして初共演であってもその場の空気感や目配せなどでみんな一緒にひとつの音楽を奏でるんですから。そしてなにより、幸せな空間を創り出します。楽しくて嬉しくて、自然に笑顔になります。音楽は素晴らしい。

1時間強の空間でしたが、じっくり聞き、MCに笑いと、楽しい時間でした。とても大切な時間を過ごせました。ライブハウスにいたみんな、心の中は同じような気持ちだったと思いますが、それでも楽しい雰囲気でしたので、みんなに伝わり気持ちいい時間だったことでしょう。

出演者のみなさん、ライブハウスのスタッフさん、そして一緒に聞いた観客のみなさん、楽しくて、気持ちよかった。ありがとう。
叫び (2011年3月18日更新)
12日、土曜日の朝、いつものようにラジオをつけます。局はαステーション ( FM京都 )。インスツルメントの音楽が流れ続けています。ときおり、外国語の落ち着いた曲が流れます。懐かしいDJの声で、気象情報を伝えます。『 津波警報が出ていますので、沿岸には近づかないようにして下さい。 』 そして再び、インスツルメントの音楽が流れます。ニュースの中で時間を追うごとに、死者、行方不明者の人数が増えていきます。震度はM8.8、津波は7mに達した様子。想像すら出来ない規模。刻々と判る被害状況。そして、地震による原発事故。

11日、お昼の2時50分ごろ、体が揺れていることに気付きます。めまい!? 疲れているからな。大型船に乗っているように、ゆっくりゆれます。揺れが長い? 周りを見渡すと、吊り下げられているものも揺れています。地震だ。暫くして、やっと揺れが止まります。不快に感じる揺れが、1分ちかく続いたでしょうか。どれほど経ったでしょう、第一報で大きな地震が起こったことを知ります。どの様に伝えていたのか、覚えていません。世界で最悪の地震が起こりました。

そして18日、金曜日の朝。いつものようにラジオをつけます。局はαステーション ( FM京都 )。DJのトークが増えていますが静かな調子、流れる曲はインスツルメントや外国語の落ち着いたもの。結構、日本語の曲も流れるようになっています。この1週間、毎日、同じように静かな放送が続いています。DJの心の叫びが、伝わってきます。少しは慣れましたが、それでも心は、体は、常と違う状況に拒否反応を示しています。

ニュースが様々な深刻な状況を伝え続けています。

早朝、寒さで目が覚めました。毛布と掛け布団を頭からかぶります。寒さが遠くに離れていきますが、被災地のことが押し寄せてきます。真冬並みの寒さになりそうです。被災地は、毛布が足りません。

撮影しているときも地震のことが気になり、近くの人に状況を聞きます。『 テレビ、ラジオを点けないようにしてるから判らない。気が重くなるから。 』

阪神大震災のとき、仲間が長田区に住んでいましたから、最初の土曜日に食料などを持って駆け付けています。阪急電車で行けるとこまで行き、あとは徒歩。映画のロケかと思いたくなるような、この世の世界とは思えない光景が見渡す限り続いていました。『 家、見るか 』と仲間が連れて行ってくれましたが、全壊。生きているのが奇跡でした。家でテレビは見ませんが、駅などにあるテレビで、東日本大震災の想像を絶する光景に言葉を無くします。

眠れない夜もあります。何気ない日常がどんなに大切なことか、仲間と馬鹿なことを言いあい、お気に入りのお店に行ったりと、そんなささやかな日常がどんなに大切なことかということをとても感じています。その日、その日を、たいして変わりなく過ごせることがどんなに大切なことか。そして笑顔になることがどんなに大切なことか。笑顔がどんなに幸せなことか。どんなに離れていても、いつもと違うことが起こるとこんなにも心が、体が反応してしまうことに気付きました。日々の何気ないことが、掛け替えのないとっても大切なことを感じています。

私はフォトグラファー。笑顔になる写真を撮ることを目指しています。写真には撮影者の気持ちが写りますので、今、とても苦しんでいます。心から向き合って撮ることが出来ないからです。最近、人を撮ることがありましたが、気持ちをどうすることも出来ずに撮っています。16日、17日、雪が降るかもということで、気持ちを切り替えることもあり、撮りたい場所に向かっています。『 雪 = 被災地に毛布が足りない 』と思いながらも、向かいます。構図を決め、三脚を据えて、レリーズを持ち、その時が来るのを無心になるように努めて待ちます。日頃と同じに駅などではテレビを見ずに、撮影に向かっているときにはいつもと同じように車窓から天気を確認しながらあれこれ撮影プランを確認し、出来る限り写真を撮ることに集中するよう心がけようとし始めています。

私自身で解決しないといけないこと。まだ、どうしたらいいのか判りません。忘れていけないことは、決して現実から目をそむけないこと。そして、仕事だからとか、仕事でないから、プロだからなどという次元ではなく、考えたいと思っています。どんな立場であれ、同じ人間、心をもった人間ですから。答えは1つではないでしょうし、人それぞれ異なってくるのではないでしょうか。

報道機関の知人たちに、取材カメラマンが足りなければ駆けつけるからと伝えています。度々連絡が入ってきますが、現場は相当混乱しているようです。私に出来ることは、しっかり準備をしておくことと肝に銘じています。
笑顔 (2011年3月2日更新)
3月を迎えました。例年通り、寒の戻りで『 なごり雪 』のプレゼントがあるかもしれません。けど、天気のいい日は異様に暖かく、昨年と同じで桜の開花が相当早まるのではないかと感じています。じわじわと静かに忍び寄る『 温暖化 』が怖いです。

祇園町では『 都をどり 』の提灯が町屋の軒下に吊るされます。あいにくの雨でしたが、200個ほど吊るされるとか。2月にポスターが貼られ、春の足音が近づいていることを教えてくれます。

さて、時計の針を少し巻き戻して、またまた頑張ってたのね(?)というお話(笑)

2月の一大イベントといえば、そうです、男女共にそわそわドキドキでしょうか。その日の数日前、雪が降るかもということで、予定変更で早朝から撮影に向かっています。日の出前からお昼ごろまで粘って撮影していました。もう写真になる雪は降りそうにないなというところで切り上げ、帰途につきます。

京都駅のi勢丹では恒例の催事が行われていました。疲れていたのと、防寒のためダウンなどを着込み、三脚など装備もあったので、少しでも身軽な時にと思いましたが、『 売り切れ 』の表示が頭に浮かんできます。人気のあるものからどんどん(!)売り切れていく様子を想像してしまいますと、百貨店のエレベーターに向かっていました。エレベーターの前には長蛇の列。その日は祝日でしたし、お昼時、当然ですよね。疲れに負けじとエスカレーターで10階に行きます。

10階の催事場、遠くからでも隙間なく大混雑しているのが見て取れます。『 いざ、決戦! 』 買い求めている人、こちらからあちらへ捜し求めている人、あちらからこちらへ捜し求めている人と通路は隙間がありません。流れに乗るぞ!と飛び込みます。しかし、『 あれ〜 』と跳ね返されます。こちらからあちらへ、こちらからあちらへと思うだけで、まったく入り込めません。ここからは無理だと別の通路に向かいます。この日は男性も結構いましたが、どうも付き合わされている様子。ベビーカーを果敢に押している奥様たちもいます。このベビーカーを押している奥様同士がすれ違ったときの表情を見逃しません。『 あなた、やるわね。頑張りましょう! 』、と思ったかどうかは知りません(笑) しかし、この大混雑の中をものともせず、凄い。

日本のもの、フランスのもの、ベルギーのものなどなどと何十店舗あるのでしょう。今回(?)はベルギーのお店が多いです。さて、折角ですので外国のものを選ぼうと、あちこち見歩きます。見た目の可愛さは大切で、姉さんにいいなと思っても既に『 売り切れ 』 箱を開けたときの笑顔が目に浮かびますが、残念。試食も結構出来ますので、あちこち回ります。いろんな味があります。美味しいところは実際よく売れています。これは当然。美味しいところを押さえつつ、見ただけで笑顔になりそうなものはないかと、もう少しあちこち回ります。結構な時間が掛りました。やっぱり少しでも楽しんでもらいたいですので。そして、あの人用、この人用、その人用と求めていきます。私の荷物の多さに気づいてまとめようの袋も頂きました(笑)

くたくたで催事場から離れます。もう〜だめ、けど、ホッと安堵。またまた、2階までエスカレーターで降りていきます。とぼとぼとぼと、こんどこそ帰宅です。

そして、いよいよ。その日も雪。ホワイトバレンタインデー。チョコを持ち歩きながら、午前中から夕方まであちこち撮り歩いてました(笑) そして夕方、『 忙しい時間に済みませ〜ん。雪に浮気してました〜 男の気持ちをお届けに来ました〜 』 しんどかったけど、笑顔が見れると楽しくて元気になります。

私の日頃のチョコは、『 写真 』 仕事であろうとなかろうと写真を撮ることに違いはなく、手間隙を決して惜しまず、写真を渡した人が笑顔になってくれたら、こんなに嬉しいことはないです。パティシエならず、フォトシエとなって、笑顔になる写真を撮りたいものです。写真の三ツ星目指して、日々精進です。

追伸
撮影は日の出から日没までとお日様と一緒に過ごすのが基本ですので、なかなかまともにお昼を取ることが出来ません。それでもたま〜に1時、2時に終わることがあり、そんな時、目指して行くお店があります。その空間に入ると幸せな気持ちになり、笑顔になります。αステーション ( FM京都 )のリスナーにはおなじみのお店ですね。

ひとつは、『 スパイスチャンバー(SPICE CHAMBER) 』というカレー屋さん。7席ほどの小さなお店。チキンカレーとキーマカレーの2種類だけですが、それぞれの味を交互に楽しんでいます。料理人の顔が見える、なんだかあったかい空間です。若いご夫婦できりもりされています。私は辛いものも好きですが、香辛料の多少に関係なく汗がじわっと出てきますので、ハンカチで汗を拭きながら美味しく頂いてます。汗ひとつかかずに食べている人が多かったんですが、最近行った時、汗をだらだら流しながら食べている人がいて、なんだか仲間みたいに思え、へんなところでホッとしてました(笑) 四条烏丸からすぐのところにあります。

もうひとつは『 AKKUN’S(アックンズ) 』というアメリカンダイナースタイルのお店。アックンズとは、ミュージシャンの後藤晃宏(ごとうあきひろ)さんのお店で、ニックネームをお店の名前にされています。2種類の日替わりランチなどのランチタイム、喫茶、夕方からは居酒屋(?)っぽくなるようです。そこかしこにモニターがあり、洋楽が流れていて、ライブも度々されていくそうです。2回、お昼を食べに行ってますが、ご飯が美味しい。おかずはもちろん美味しいんですが、ご飯が美味しいので美味しさ倍増です。夜にも行きたいお店です。このお店も四条烏丸からすぐです。

『 スパイスチャンバー(SPICE CHAMBER) 』
下京区室町通綾小路下ル西側 福井ビル1F
075−342−3813
営業時間 11:30−15:00、18:00−20:30 (土曜日はお昼のみ) 日祝お休み
(四条烏丸の1本西の通りを南へ、1筋越えた西側です)

『 AKKUN’S(アックンズ) 』
中京区烏丸蛸薬師東南角 烏丸第3スタービルB1
075−252−0510
営業時間 11:30−27:00 (ランチタイム11:30−15:00)
(四条烏丸を北へ、錦通を過ぎ、次が蛸薬師通でその東南角)
2011都をどりチケットについて (2011年2月16日更新)
ここ数日、京都市内も雪が降るかもとの予報が出ています。前日の天気予報確認など気が気ではない日が続いています(笑) また、1月21日にウェザーマップの第1回桜開花予想が発表され、京都の桜の開花予想は、『 3月28日ごろ 』となっています。今冬は例年並の寒さとのことですが、どのような季節を見せてくれるでしょうか。また、2月2日に日本気象協会からも同じ発表がされています。

さて、まだ1月末ですが、都をどりの話をぼちぼち聞き始めています。年末に『 春のをどり 』の予約を実際聞いたときは、みなさん楽しみにされていることを実感しました。2月になりますと地方(じかた)さんの都をどりのお稽古が始まります。春の足音を感じます。

今年も都をどりチケットを正規価格にてお譲り出来ます。今回で9回目です。世情は相変わらず厳しいですが、是非、京都の春を楽しんでいただければと思います。今年も宜しくお願い致します。( 2011都をどりチケット申込み詳細 )
幸せな疲れ (2011年2月10日更新)
ここ数日、ついついつぶやいてしまっています。ツイッターじゃないですよ(笑) 口から出ることは、『 疲れた 』、『 あ〜疲れた 』、『 本当に疲れた 』

連日、朝から夜まで、本当に走り回っていました。ある日は脚立を持ち、大勢の人がいる中を先回りしての撮影。これは依頼を受けてのものですが、節分でにぎわっているところに行きますので、必死。途中、タクシー移動での先回りもあり、本当に先回り出来たのか気が気ではありません。これだけで7時間ほどに及びます。その後、夕方から夜の撮影。これまた5時間から7時間。これも走り回っていました。休憩なしです。午前様で帰宅して、すぐ処理しないといけないものもありましたので、そのままパソコンに向かう日もあり。う〜ん、思い返すと恐ろしい。

昨日は昼前からの撮影でしたが、日の出前の時間帯から撮りたいものがあり、それを撮影してからでも十分間に合うので、午前4過ぎに起きて、現場に向かってます。尚、この時期は当然寒いです(いつだったかマイナス4℃でした)が、日の出の時刻は一番遅く、夏と比べると起きる時間は遅くて済み、楽なんですね。さて、3時間ほど撮って、写真関係の所要であちこち向かいます。このころはもうこれまでの蓄積疲労で頭がまったく働きません。ゆ〜っくり考えないと判断出来ない状態(笑) ついつい笑ってしまいます。ナチュラルハイ状態でした。

そしてお昼。三脚を据え、久し振りに座っての撮影。しか〜し、結構な長時間。正座、あぐら、合間に起立など、足のしびれを紛らわせます(笑) 撮影枚数は、出番毎に、そして場所が場所ですので多くて5枚ほど、タイミングを見計らいますので、集中します。働かない頭で集中してましたので、終わったときは『 あしたのジョー 』じゃないですが、燃え尽きていました。夜、お風呂の湯船で、本当に暫く寝てしまいました。気持ちよかった(笑)

しかし、この期間も、本当に幸せでした。私にとって写真を撮るとき、仕事だからと思うことがありません。仕事に見合うものを撮ることを心掛けますが、仕事だからと思うことがまったくありません。正直、しんどいですが、楽しくて、嬉しくて、幸せなんです。

作品作りのために花街にも行ってますが、道すがらレンズの前で遊んでくれたり、ほとんど縁のない、遥か彼方の方と思っていた芸妓さんがホーズをとってくれたりと、嬉しくて嬉しくて仕方がありません。そして、お茶屋さんでスタッフと一緒に芸妓さんたちのお化けを見せてもらっていまして、お茶屋さんで遊ばせてもらわないと解らない、感じない、芸妓さんたちの凄さ、素晴らしさを改めて見せつけられています。祇園甲部は京舞井上流で能掛り、人形振りを取り入れた直線的で無表情、台詞がほとんどといっていいほどない舞踊ですが、お化けではそれらにこだわらずに自由に出来ますので、舞ではなく踊りあり、表情あり、台詞ありと様々な要素を取り入れて、御贔屓筋を楽しませます。このことで芸妓さんたちは、京舞井上流を更に深く理解することにもなるのだろうと思います。違いを感じ、経験すると、解るもの、見えてくるものがあります。そうはいっても基本は古典芸能で、途中、芸妓さんたちに簡単に教えてもらったんですが、原典の知識がなく、真に楽しめてません。う〜ん、残念。

そして、今回、私にとって、芸舞妓さんや花街の写真を撮る際にとても大切なことになるであろうことを感じられ、芸妓さんたちの凄さの深さが増しています。なにを感じたか、このことは極秘事項ですので、ヒ・ミ・ツ(笑) 余談ですが、AKB48のヘビーローテーションが聞こえてきたら踊り出して、大笑いしてしまいそう。なんのことでしょう〜(笑)

書籍や報道なんかでは解らない本当に楽しくて素晴らしい世界がお座敷にあります。花街と付き合うことは家族になるように付き合うことです。長く付き合って分かり合える世界です。とっても素敵な世界です。本気で怒られもしますが、互いを知り合うには大切なことです。そして、相手が望んでいることを察して、本当に楽しませてくれます。ちんけな損得勘定ではなく、本気で付き合います。身近にお座敷に上がられている御贔屓筋がいらっしゃいましたら、是非、連れて行ってもらい、敷居をまたいで下さい。そして、何度も連れて行ってもらい、お茶屋さんの女将さんに紹介してもらえるまで、通い続けて下さい。そうすると、また違った世界を見せてくれますから。人と人が本当に付き合うには時間が必要です。花街は人と人の付き合いを求めています。お金を払うからお客だ、などという無粋な世界ではありません。人と人が本当に付き合っていけるかどうかの世界だと感じています。とっても大切な世界が花街にはあります。そのために、芸舞妓さんだけでなく、お茶屋さん、置屋さんなど廓の方々は研鑽されています。凄い古典芸能のお師匠さんたちが芸舞妓さんたちにお稽古をつけています。書籍や報道などのバーチャルで極々限られたものではなく、温もりのある現実の世界の扉をたたいて下さい。

さて、疲れたということは、たくさん写真を撮っているということ。あ〜パソコンに向かわな〜 フイルムが懐かしいな〜 『 あ〜ますます疲れる〜 』(笑)
松の内のころ (2011年1月25日更新)
私が祇園に通うようになったとき舞妓さんだった妓は、今では芸妓さんになっていて、最近では挨拶回りなどのときに姉妹関係の芸舞妓さんの先頭に立って行かれるのを目にします。先頭を行く姿は、とても眩しく、女性としての色香を感じさせる反面、芸妓としてのプライドに満ちています。私がもたもたしている間に遠くに行ってしまうようにも感じます。5、6年ほど前までは、今みたいに観光客はいなく、とても落ち着いて趣を感じる町を、それこそ『 はんなり 』と行き交っていました。信じられないでしょうが、だれもいない花見小路を行く芸舞妓さんの写真を撮らせてもらっていました。

さて、お茶屋さんで遊ばせてもらうときは、祇園に通い出したときに顔見知りになった妓がやはり気楽に接することが出来、のんびりと楽しめます。常に呼んでもらうのは、その妓たちから後輩の芸舞妓さんです。その妓たちより上の芸妓さんにもいろいろと本当に良くして頂いていますので、お願いしなければいけないんですが、なんだか晴れがましく、なかなか呼ぶことが出来ません。

そうこう思いながら、松の内(元旦で大正月の1日から小正月の15日まで)の『 お箸紙 』 そして、松の内は『 紋日 』ですので、日により『 黒紋付き 』や『 色紋付き 』と決まっています。今年は予想外の雪もあり、忙しくしていて行けないかなと思っていましたが、その忙しさのお陰(!?)で寄せてもらえました(笑) 今回はエイヤッと気合いを入れて舞妓さんのときを知らない芸妓さんに来て頂きました。私なんかがお願いしていいのかと、もう、ドキドキものです。お座敷に『 おおきに〜 』と静々と入ってこられたときは、『 あ〜感動〜 』(笑)

お茶屋さんの姉さん(女将さんですが、私は姉さんと呼ばせてもらってます)が気を利かせてくれて、3人であれやこれ、そ〜だ、こ〜だと時間を過ごします。芸妓さんに『 そんな趣味があるの〜 』(笑)と驚いたり、もう見ただけでは判らないことばかり(笑) 廓内で見たり聞いたりしたことは他言しないという不文律があります。当然、ヒ・ミ・ツ(笑)

それから、私はお酒は好きなんですが、強くはなく、すぐ真っ赤になり、ワイワイ騒いで、最後は静かにお休みなさいとグーグー寝てしまいます(笑) おまけに、写真を撮るようになって、ほとんど飲まなくなり、すぐ酔っ払ってしまいます。お座敷は遊ぶところですので、写真は基本的にポートレイトを数枚撮らせてもらうのみ。写真を撮るときは徹底的に撮りたくなりますので、お座敷には持ち込まないと決めています。

前後しますが、お屠蘇を頂き、私の名前の書かれた『 お箸紙 』で祝い膳を頂きます。今年も伺うことが出来たと感無量です。芸舞妓さんをはじめお茶屋さん、置屋さんなど祇園町には御恩がありますので、結んで頂いたご縁を大切にしていかなければならないと改めて思います。

名前の書かれた『 お箸紙 』、とっても大切なもの、今年も有り難く頂くことが出来ました。


追伸
今週も雪を見ることが出来そうです。昨今、なかなか見れない雪、冬を感じて嬉しい。けど、太陽が出ると小春日和のようで、妙にあったかい。寒さの中に、『 温暖化 』を感じます。

さて、ウェザーマップの第1回桜開花予想(1月21日)が発表されています。京都の桜開花予想は、『 3月28日ごろ 』とのことです。今冬は例年並の寒さとか。さて、どんな季節を見せてくれるのでしょう。
写真はアート、アートとしての写真 (2011年1月15日更新)
親友と会っているときの気持ち、好きな人と会っているときの気持ち、仕事関係の人と会っているときの気持ち、初めての人と会っているときの気持ち、男性と会っているときの気持ち、女性と会っているときの気持ち、憧れの人と会っているときの気持ち。前向きなときの気持ち、疲れているときの気持ち、不機嫌なときの気持ち、寂しいときの気持ち、悲しいときの気持ち、無関心なときの気持ち、真夏の暑い日のときの気持ち、お風呂でゆっくりくつろいでいるときの気持ち、いろいろな気持ちがあります。たぶん、その時々で、表情が違うことだろう。どんな表情をしてるんだろう。そして年齢を重ねるにつれ価値観など変化していき、気持ちのありようも変わってくるのだろう。

写真に撮る。けど、カメラを向けられたら、なにがしか構えてしまいそう。前向きなとき、『 いい顔に撮ってよ 』 疲れているとき、『 こんなとき撮るの、まいったな〜 』 寂しいとき、『 ねえ、写真なんか撮らずに、なんか話そうよ 』 無関心なとき、『 なに撮りたいか知らないけど、好きに撮っていいよ 』 カメラの前で演じることが上手い人、ぎこちない人、人見知りする人、人それぞれ。会ってる人、そのときの心の状態、お気に入りの場所、カメラの有無なんかでいろんな表情をするんだろうな。

写真を撮るとき、瞬きをします、呼吸で鼻や口が動いています、なにげに口元が動きます、血液が流れ、細胞自身が動いています、気持ちで動きます。何枚か撮らせてもらったものを見ていて、なにが違うのか判らないけど、雰囲気の違うものがあります。『 なんか判らへんけど、こっちのほうがいいな〜 』

私自身のポートレイトを撮ってもらったらどうなんだろう。私自身、常には鏡に写った姿しか知りません。それも、まじまじと見ている訳ではなく、洗顔のときぐらいの数十秒です。『 こんな顔してんのや〜 』と写真に教えてもらうといった感覚になりそうです。私はどんな顔をしてるんだろう、どんな表情をしてるんだろう。久しぶりに会った友人に『 変わらないな〜 吉川らしいな〜 』って言われますが、どんなことを感じているのだろう、そして私を知っている人はみんな同じことを感じるんだろうか。

『 いい顔に撮って 』ってどんな顔を思い浮かべているのだろう。考えると百面相なんてもんじゃない無限の表情をしているのでしょう。どんな表情であっても、すべて自分自身。そして、二度と見ることのない一度きりの表情なんでしょう。

『 顔つき 』、成長とともに変わっていきますが、『 面影 』が残るものです。骨格からくるものでしょうか。

遠く離れ、後ろ向きであっても、『 その人 』だと判ります。骨格や身振りなんかで、例え顔が見えなくても、判るものです。歩き方や所作、日々積み重ねられてきた中に『 その人 』を感じます。

ちまたではどんなポートレイトがいいのかとか、良い悪いはないんじゃないのとか、あれこれいっています。私は、どんな表情であれ、本人が喜んでくれるものを撮らせてもらえたら、それが一番の幸せと思っています。怒った表情だったり、疲れた表情だったりしても、『 え〜、私ってこんな顔してんのや〜 』って楽しんだり、喜んだりしてもらえるものだったら嬉しいでしょう。けど、この様な表情を撮らせてもらうには、前もって了承をもらっておかなければ、撮ろうとは思いませんし、了承をもらっていたとしても、その時、撮るのは止めて下さいなどとなるかもしれません。やっぱり、見て素直に嬉しくなるような写真が、撮らせてもらう方としても一番嬉しい。そういった写真だったら、後々になっても見ることだろう。けど、他人にとっては退屈な写真になるのかな。他人はのぞき趣味があるから。私にとっては、本人が喜ばないような写真なんかどうでもいいことだけど。

本人が喜ぶポートレイトって、著名なフォトグラファーとかは関係ないように思えます。どんなに著名なフォトグラファーに撮ってもらったとしても、望むような写真だったら後々まで嬉しいけど、そうでなかったら嬉しいのは暫くの期間だけなのかな。本人が望む、身近で技術のあるフォトグラファーに撮ってもらうのが一番なのでしょう。あとは、『 だれそれが撮った写真 』ということになるのでしょうが、これはこれでその後プレミアがついて別の意味で価値をもつことになるのでしょう。

ポートレイトに良い悪いなんかなく、本人のある瞬間の二度と見ることのない表情をとらえた写真ということになるのでしょう。それでは私は、どう撮るのか。『 その人らしさ 』とはどんなことなんだろう。どう撮ったらいいのか判りません。あるとすれば、くつろいだ雰囲気の中、短時間で撮ります。この短時間で撮るということには、私なりのしっかりした理由がありますが、ヒ・ミ・ツです(笑) 相手が著名な人だったら、その人の人柄について書かれたものは参考にせず、その時の雰囲気を大切にして撮ります。

今はこんな風に思っているけど、時間が経ったとき、どう思っていることだろう。(人物を撮るフォトグラファーに『 宮原夢画(みやはらむが) 』という好きな人がいます。注目して下さい。)

追伸
祇園を撮らせてもらうようになり、11年目を迎えています。最初は、撮らせてもらえるようになるのに3年かかるか、5年かかるか、10年かかるか、それとも・・・と思っていました。今もこの時の気持ちを大切にしていて、撮らせてもらえないのが当たり前のことで、撮らせてもらえたらこんなに嬉しことはないと思っています。

この日も、大勢の人の中で、出入りする芸舞妓さんたちを撮らせてもらっていましたが、気のせいでしょうが、『 吉川さん、しっかり撮って下さいよ 』と暗に言ってくれているように感じるときがありました。カメラなんかものともしない芸舞妓さんの凛とした姿が大好きですが、それだけのことでしょう。気のせいですね。

離れたところで、帰宅途中の姉妹関係の芸舞妓さんたちと年始の挨拶を交わしていたとき、『 みんなで撮ってもらおうか 』と。私にとってこんなに嬉しいことはありません。さりげない心のお年玉に感じました。声を掛けてもらえることの幸せを忘れないようにしたいものです。

ところで、声をかけてもらって撮ったとき、カメラの設定変更やテストに時間がかかったように感じていましたが、6枚撮るのに20秒(設定やテストの10秒含む)でした。芸舞妓さんにとってこの20秒がどうだったのか判りませんが、私にはとても長く感じていました。カメラの操作はもっと速く出来ました。撮ることに集中するためにも、もっともっとカメラを自在に扱えるようにならなければ。私の目指すところはもっと上なのだから。
結果は付いてくると信じ、望まず、そして、全力 (2011年1月8日更新)
新年を迎えています。電車の車窓から眺めを楽しみます。どっしりした、迫力ある無数の雲が流れています。大好きな光景です。遠く、北西の谷間が白く霞んでいます。『 雪? 』 天気予報で京都北部は雪が降るように伝えていました。雪が降っているようです。ひょっとすると、撮影現場にも雪雲が流れてくるかもしれません。どんな光景が広がるのか嬉しくなってきます。

だんだん現場に近づき、見上げると、明らかに雪雲です。けど、地上は暖かい。天空の寒気から放たれた雪は、地上で時雨れそうです。近くの神社に詣でよう。願い事は、もちろん、ヒ・ミ・ツ(笑)

さて、町に馴染み、眼前に広がる世界を素直に受け止められるように臨みます。どのような光景を撮らせてもらえるのか、そして、どのような感性が働くのか、楽しみです。この1、2年でしょうか、取り組んでいることがあり、そういったことも撮らせてもらえる機会を与えてもらえるか、楽しみです。写真の神様は常に機会を与えてくれています。それに気付くかどうか。気付かないようなら、精進が足りないということ。もっともっと研究して、準備するだけのこと。年末に記したように写真を撮る上での考え方の整理が出来たせいでしょう、この数か月はしっかり見定めた上でこれまでになく驚くほどシャッターを切れるようになっています。今回もしっかり見えていて、いろいろな構図で撮ることが出来ています。どのようなものが撮れているか、しっかり判っています。目の前で起こることを楽しみながら撮り進めます。以前にはなかった感覚を感じています。すべて二度と見ることのない瞬間。しっかり見つめます。そして終わります。撮り切ったという感覚が残りました。すべてに感謝です。

帰宅してから、PCでのラフチェック。改めてどの様なものを撮り切ったのか確認します。涙が出てきます。いろいろなものが撮らせてくれています。そこまで望むのなら機会を与えようといってくれていたようです。作品になるかどうかはこれからですが、撮らせてもらえたようです。一期一会、次回も撮らせてもらえるかどうかは判りません。誠心誠意、出来得る限りの準備をして、臨むだけです。結果は、その時々で判ることだから。


おめでとうございます。楽しい日々を過ごせますように。
2010年

一期一会 (2010年12月31日更新)
もう身近には本当の自然はないのでしょう、すべて造られた自然に囲まれているのでしょう。この様な造られた自然の中で、ある空間に造られた自然を撮影する機会があったんですが(今も継続中ですが)、どう撮っていいのかまったく解らない。人が造ったものですので、何らかの意味があったりするものですが、それがまったく解らない。本当に偶然にも、なんて神様の巡りあわせなんだと思えるほど偶然にも、そういったものを造るプロの方と全然関係ないところで出会いました。

なんかいい本はありませんかとその方に尋ねたところ、基礎編、応用編、伝説の人物編、現代の人物編の4冊の本を贈って頂きました。この4冊でどこに行っても基礎的なことは解るようになり、解らないことは関係者、お手入れをしている方や図書館で調べたりすることで、とても深く感じて撮影することが出来るようになっています。ただ単に美しいだけでなく、その空間で営まれてきた歴史を感じる、深みが感じられるようなものを撮るように取り組んでいます。このことが私にとって写真を撮るということの大きな転機になりました。

花街については芸舞妓さん、置屋さん、お茶屋さんにいろいろ聞いて実際のことを教えてもらい、書籍で補完するという取り組みで、本当の現実をある面から知っています。それと同じことを造られた自然を撮影する際に教えてもらいました。季節、日時を問わず、その空間が美しく感じられ、幸せになってきます。花街で芸舞妓さんや風景を撮りに行くときと同じ感覚ですね、いつ行っても楽しい(笑)

感性は知識によっても広がるものなんでしょう。知らない、解らないから感じなかったものが、知ることで感じることが出来るようになる。音楽など身の回りすべてがそうなんでしょうね。楽譜が読めて、本当に聞けるようになれば、もっと幸せになるんだろうな。世の中は、幸せで満ち満ちていますね、それに気付くか、気付かないかなんですね。このことが切っ掛けで写真を撮る上で大切なことに気付くことが出来ました。

一眼レフを購入して3、4年で自在に使えるようになり、それと共にフィルムに撮れているものが判るようになります。始めた頃は、現像後どんなものが写っているか見るのが楽しくてしかたがなかったのですが、それがなくなってくると全力で撮っていても楽しさが薄れてきました。しかし、撮る度に予想出来ない、予期できないことが起こっていることに気付かずにいたのです。

以前、個展で展示した舞妓さんの写真を見て、『 こんな表情を撮れるのは吉川さんだからやね〜 』と言われたことがありました。その時は常日頃良くも悪くも隠し立てなく互いに分かり合えるように接するようにしているから撮れて当たり前と思ったものです。ところで、スタジオのライティング、カメラを変えず同じ設定で、ポートレイトを撮ると、フォトグラファー毎に違った写真になります。このことがとても大切なことでした。どんな空気感、雰囲気に出来るかで撮るものがまったく変わってきます。この空気感や雰囲気は長年に渡って築かれるものもあると思っています。

昨今の祇園花見小路、沢山の観光客であふれています。どんなに人がいても綺麗で美しい写真を撮ることが出来る技術をもっていますが、しかしそうやって撮ることをしてしまうと観光客の中に必ず勘違いをする人が出てきます。なにげない表情を撮りたくて祇園に行っていますが、芸舞妓さんに迷惑を掛けてまで撮ることは出来ませんし、やってはいけないことだと自戒しています。ほかにもいろいろ自身に言い聞かせて通っていますが、それらを祇園町に感じてもらえれば幸いなことです。私が撮りに行った時、それこれで見せてくれる表情が違ってくるのでしょう。

いい写真が撮れるかではなく、撮らせてもらえるか、だと思っています。『 写真は対決だ 』と度々雑誌に出てきますが、私はそうは思いません。被写体が仕事だからと思うのか、素っ裸になってくれるのかは、フォトグラファーの常日頃からの取り組み方次第までいくのではないかと思っています。風景や静物も同じでしょう。とっても大切なことにやっと気付き、分かった年でした。写真を撮る上で一番大切なことかもしれません。どんなに技術がある人が撮っても、仲のいい友達同士がコンパクトカメラで撮った写真には敵わないものです。写真を撮る腕におぼえあり、の友達がいたら、もう、鬼に金棒(笑) 観光客のみなさ〜ん、私のひと押しは高いですよ〜(笑)

確かな技術があればどんなものが撮れているか判って当たり前、どんなものを撮らせてもらえるかが大切で、その時でないと判らないことであり、その時までにどんな準備が出来るかがフォトグラファーに課せられた命題になるのでしょうか。

毎年というか日課ですが、撮影技術を磨くために、写真展をはじめ、絵画、フラワーアレンジメント、書道、映画、音楽、お芝居など、この1年も機会がある度に見に行ってます。雑誌も女性誌は当然、様々なジャンルのものを見て、研究しています。これらの見方も、先のことがあり、今年は大きく変わりました。自分にない見方や構図などを研究しますが、更に深い見方になりだしています。

以前、雑誌の写真を見るのも嫌になった時期もあったんですが、楽しくて仕方がない自分がいます。いい意味で余裕を感じるようになっています。どんな写真を撮らせてくれるのか、撮らせてもらえるようになるのか、楽しくて仕方がありません。大きく成長した2010年でした。

追伸
今日、大晦日の朝、いつもの様にラジオのスイッチを入れると、αステーション ( FM京都 )が流れてきます。朝の顔のDJ:佐藤弘樹さんの渋い声が、スタジオから見える光景を伝えてくれます。『 雪が降りしきり、みるみる屋根に積もっていきます。 』

おっと〜、雪が降ると思っていましたが、急げ〜、祇園〜、三脚〜(笑)

最近なかなかない雪景色を撮りに飛んでいきます。その内、テレビも来ます。テレビクルーは仕事のとき見たことがある人達で、多分私に見覚えがあるんでしょう、聞いてきます。『 舞妓さん、お茶屋さんにいるんですか! 』 外国の方も聞いてきます。『 What are you doing ? 』(なに撮っているんですか?)

参ります。ここで写真を撮ってると、舞妓さんを撮りに来てると思われるんですよね。町並みに魅力を感じないんでしょうか。個展のとき4分の1は祇園の町並みの写真を展示します。祇園町があっての芸舞妓さん、芸舞妓さんあっての祇園町と思っているからです。その町並みも変化してきています。歴史的景観地区に指定されている巽橋界隈は商業施設が多数を占め、人の生活臭が薄れ、私にとってはあまり魅力を感じません。一力さんがある南側もだんだん飲食店の商業施設が増え、魅力が薄れつつあります。人の生活があって初めて町を形成すると感じています。

観光客が花見小路を歩きながらよく言っています、『 映画村みたい! 』 人の生活が薄れてきて、外観だけを取り繕うようになりますと、だんだん町ではなく箱になってきます。町にとって一番大切な人の生活が今後も営まれることを切に願います。

余談と言いますか、三脚を使って撮っているときは、町並み、風景を撮っています。芸舞妓さんを撮ろうとはしていません。どうか、そっと見守って下さい(笑)
2010猛暑紅葉顛末記 (2010年12月26日更新)
最近、撮影続きで体は疲れまくり、気力でもちこたえていましたが、それも限界を越したようです。お風呂で湯船に浸かったら、なかなか出ることができません(笑)

さて、いろいろ書き留めたいことがありますが、まずは今年の紅葉を振り返ってみます。

なにに書いてあったのかまったく覚えていませんが、8℃を切って2週間前後で紅葉の見頃を迎えるというものでした。8℃を切ったのは、2010年10月27日(水)でした。初秋、気象庁の余談で6、7℃を切って2週間前後で見頃を迎えるというもの。7℃を切ったのは、11月4日(木)でした。実際、見頃を迎えたのは、21日の週でしたので、8℃を切って3、4週間後、7℃を切って2、3週間後。紅葉は、6、7℃を切ってから2、3週間後に見頃を迎えるということでよさそうです。補足で、11月の気温は、寒暖の差は大きかったものの、日々の最高気温は例年より5℃前後も高くなっていました。とんでもない高さです。

さて、どんな紅葉だったか。寒暖の差が大きいので色づくには好条件と伝えられていました。しかし、猛暑(35℃超の日が7、8月で40日以上も)の太陽光を直接受けた葉は可哀そうな状態でした。これまでなら朱や黄の綺麗な葉が散っているものを思い浮かべますが、薄茶色でくしゃくしゃの葉で枯れたまま枝についていたりと朱や黄はどこにいったのという状況でした。7、8月の猛暑で葉が焼けたようになっていたのでしょう。

北は三千院、南は東福寺、西は嵐山、天龍寺などあちこち行ってますが、どこも猛暑の太陽光を直接受けたであろう葉は可哀そうでした。建物や木々の間で日陰になっていたところの葉は、どうにか綺麗な紅葉を見せてくれているものもありました。強烈に覚えている東福寺の臥雲橋から見る通天橋を燃えるような朱で浮かび上がらせるはずの紅葉、それが声も出ないほど無残な光景を広げていました。そしてあちこち行った先で聞こえてくる参拝者の声、『 うわー綺麗ー 』 これは本当にそう思って言っていたのでしょうか。それとも思い込ませようとしていたのでしょうか。

1100年に渡って築き上げられた京都の魅力はこれくらいでは揺るがないものを秘めていますが、それにしても高々150年ほどの産業活動でこれほどのダメージを与えてしまう人間はなんなんでしょう。神様は人間にどんな使命を与えたのでしょう。恐竜が絶滅するような気象変動が起きてもなんともなかった地球、今回の温暖化も地球にとっては織り込み済みなんでしょう。危機を迎えるのは地球上に生息する動植物。本当に待ったなしです。すぐ取り組まなければならないことは、消費生活の見直し、電気、ガス、ガソリンなどの人工的なエネルギー使用を減らすことです。

夢のもてる今日を過ごしましょう。夢のもてない世界は、辛く感じます。

追伸
なかなか出られない湯船の続き。当然、お湯はぬるくなってきます。動くとぬるさを感じますが、じっとしてると案外あたたかいもの(笑) 心がくた〜ってなるとこんなものでしょうか。これがいけなかった。

さて、3日後渡しというのがありまして、その間には長時間拘束される撮影もありのということで、徹夜に近い作業で仕上げるということになります。納得出来るものしか渡しませんので、仮眠後、再確認して、無事、渡し終えます。なにやら、鼻水。続いて、くしゃみ。まずい。仕事はわんさか残っていますが、急ぎは一応終わりのため、免疫力ゼロでしょうか、寒さに犯されたようです。筋肉痛じゃないけど風邪の症状も2日後に出るものでしょうか。ぬるい湯船に長々入っていたら当然ですよね。
偶然の必然 (2010年11月30日更新)
プロ野球で打者が3割を打つことの凄さを感じます。投手は打たせないように投げ、野手はアウトにするように守る中での3割。打者は全打席でヒットを打つことを考えて、バッターボックスに立っているはずです。空振りや野手に守られたことは、失敗ではありません。投手や野手に守られただけです。

写真も技術が確かならば、すべてしっかりしたものが撮れます。ただし、その中には、目つぶりであったり、ぎこちない動きみたいに撮れていたりと、なにがしかの美しさを感じない写真になっているものもありますが、これらは失敗ではありません。ここ4、5年は失敗することが考えられない技術力で臨めるようになっています。すべてしっかりしたものが撮れていて当たり前となっていますし、それで当たり前と思えるようになっています。

考えた写真が撮れるに従って、どこかで『 偶然性 』を求めるようになっていたようです。写真を撮る上で『 偶然性 』はどういうことだろう。

写真を撮り始めるとき、まず天気なり、その場の明るさの確認から始めます。感度設定をいくらにするか、そうすると絞りとシャッタースピードの組み合わせが判りますので、レンズの焦点距離は広角系、標準系、望遠系のどれを主に使うかが決まってきます。つまり、スナップなどのように手持ちで撮る場合、真っ暗に曇っていたり、雨のときに望遠系を使うと手ブレを起こすシャッタースピードしか設定出来ませんので、この様な明るさのときには、広角系、標準系を選択することになります。ただし、ストロボの使用を考えられる場合はこの限りではありませんが、暗い中で望遠系の使用を考える際にピントを合わせることの難しさもしっかり考慮しなければなりません。これでカメラ本体にレンズを取り付けることが出来ます。

撮影の準備で、感度を設定して、焦点距離によって手ブレしにくいシャッタースピードを考えた上で、被写体を止めるのか、動感を感じるブレたものを撮るのかなどでシャッタースピードの範囲が判りますので、『 パンフォーカス 』のものから背景のぼかし具合を考えた『 絞り 』、そして明るめ、暗めの『 露出 』で、『 絞り 』と『 シャッタースピード 』の組み合わせが決まります。ストロボを使うとき、『 日中シンクロ 』で撮るなどでも『 絞り 』と『 シャッタースピード 』の設定が決まってきます。スナップでは、ピーカン順光、ピーカン逆光、うす曇り、真っ暗な曇り、雨、明るい室内、暗い室内などの条件を考えて、この様なことを写真を撮る毎(シャッターを押す毎)に瞬時で考えて、設定することになります。レンズ、絞りとシャッタースピードを決めるときには、同時にどんな写真を撮るのか『 構図 』が決まっています。

決まっていないのは、被写体が人でしたら、その人がどのように動くのか、風景でしたら、どのような色彩や陰影を見せてくれるのかなど、撮影者にはどうすることも出来ないことです。最近ですと、寒暖の差が大きかったから美しい色づきの紅葉になるのではと言われていましたが、2ヶ月に渡る温暖化による猛暑の影響で南側など直射日光を受けた葉は可哀そうな状態、くしゃくしゃになったりして枯れていたものを多く見受けます。落ち葉も、くしゃくしゃな枯れた茶色の葉です。常日頃、風景を撮っている方で、『 撮りに行く気にならない 』というほど。自然の営みを撮影者にはどうすることも出来ません。人の表情にも、親しくしている人とそうでない人などで見せてくれる表情が違ってきます。

ここに『 偶然性 』が産まれます。他には意識して設定した『 シャッタースピード 』でのブレ感や、『 絞り 』による背景のぼかし具合にも『 偶然性 』が潜んでいるように思えますが、このことに関しては、技術力を上げることでいくらか『 偶然性 』を減らすことが出来そうに思えます。撮影者の技術力が高ければ、被写体との向き合いの中だけに『 偶然性 』が産まれると今は思っています。ここ4、5年、シャッターを押したときにどのような写真を撮ったのかが判っていますので、面白くないと感じていたのですが、なにが撮れているのかが判らないとダメなことがやっと解りました。撮影者の未熟さから産まれる『 偶然性 』は絶対ダメなんです。『 確かな撮影技術力 』があって初めて『 本当の写真 』を撮ることが出来る条件をもてるようになるのではないでしょうか。この『 確かな撮影技術力 』は必要十分条件ではなく、あくまでも最低限の『 必要条件 』です。『 十分条件 』は他にあります。この4、5年、いろんなことに悩みながらも計算した写真が常に撮れています。また、常に撮らないと撮り方を忘れるということをいいますが、年に数回のことも、この2、3年は私自身が驚くほど安定した写真が最初から最後まで撮れるようになっています。仕事、作品、突然頼まれる観光客の記念写真(笑)に至るまで、常に出来うることで臨めています。『 本当の写真 』を撮る『 必要条件 』が出来ていたようです。

2010年の今年は、『 十分条件 』を備えるためのきっかけに巡り会えました。とても重要なことに、やはり『 感性 』が必要だと思っています。先天的な生まれつきのものもありますが、そうでない後天的なものもあります。この後天的なものに今年は巡り合うことが出来ました。どれだけ磨けるかは私自身です。この消費社会の中のどこにそれが潜んでいるのか、五感を磨き、感じ、判るようになりたいものです。そうすると『 時代を超える本物 』が見えてくるようになるのではと思います。

物づくりの本物の条件に、なぜその材料を使っているのか、なぜその工法なのかなどをしっかり解っていて、掛け得る限りの時間と手間暇を惜しまない、積極的に臨むこと(経費意識はとても重要ですが、誤ればそれまでのこと)が含まれてくるように思えてきています。写真を撮ることも、同じようなことが言えます。撮り続ける限り、『 今日が今までで1番 』と言えるものを撮るように臨みます。
調和 (2010年11月20日更新)
8月終わり頃から、お庭も意識して風景の撮影に取り組んでいます。あるプロの方から頂いた4冊の本を何度も読み返し、そして図書館に通ったりしながら、考えなくても自然に撮れるように取り組んでいます。

最近、風景を撮り出しましたが、どのようなことを考えて造られているのかなどが少しでも意識できるようになってきますと撮り方が変わってくるのがわかります。例えは何がいいでしょう、そう、スポーツを見るとき、ルールが解ると面白さが倍増するような感じでしょうか。目の前の風景に広がりを感じるようになりますので、撮影する際の意識が見た目の美しさだけでなく、その場所に関わった人々や、重ねられてきた年月の深みを感じるようになります。そして桜の時期とか紅葉の時期などということが、とても取るに足らない思いと感じます。目の前にした瞬間が、とても大切な空間なんだと思えます。

拝観者から『 色づきはもう少し。週末頃が見頃かな。 』などと聞こえてきたりしますが、綺麗な緑、綺麗な朱、綺麗な黄、猛暑にやられた葉など、いろいろな様子を見せてくれている目の前の自然の美しさに贅沢さを感じます。すべては土から生まれ、土に帰っていく。人間には造ることのできない、この自然の美しさ。そして先人たちが造り出してきた世界のさりげない美しさ。先人たちが造り出してきたものに自然との調和をとても強く感じます。そのようなことをもっと感じるようになり、少しでも人間としてもっていたであろう感覚を取り戻したいものです。

このような美しい広がりの中で撮影していますと、感謝でいっぱいになってきます。しかし、もともとは大勢の人が訪れる場所ではなかった空間です。門をくぐり、飛び石を渡りながら、静かに、ゆっくりと季節の移ろいを愛でる空間。飛び石の周りには、重ねられた時間の中で育まれた美しい苔が生していたはずです。撮影している最中に団体客などがどんどん押しかけて来て、美しかったであろう苔を踏み歩いて行きます。『 美しいお庭に美しい苔が生えていますので、踏まないようにしましょう。 』と声を掛けます。このような空間に接する喜びがありますので、撮影よりも、少しの方でも知ってもらえればと声を掛けます。どうか今後、苔を踏まれませんように。そして、お友達や周りの人達にも言ってくれますように。

美しさを造り出すには、『 時間と手間暇 』が必要です。柵のあるところには決して入らず、柵がなくても飛び石などがあるところは、必ず飛び石を渡りましょう、飛び石の周りは苔むしていますので。

そして、こぶしよりも一回りから二回り大きい石に縄を結んだものが置かれていることがあります。『 関守石(せきもりいし) 』といいます。これが置いてあったら、『 石よりも先へは入らないで下さい。 』ということを意味しています。慈照寺(銀閣寺)では柵の中ですが、観音殿『 銀閣 』(銀閣寺じゃないですよ!)の前の橋の近くで目にすることができます。いろいろなところで目にすることが出来ますので、気にして下さい。『 関守石といって、柵の代わりなのよ。先に入ってはいけないのよ。 』ってお友達に説明すると尊敬されるかも(笑)

多くの方々に美しい空間を感じてもらうためにも、これらのことに意識していきましょう。ここ数年の外国の方の多さに驚きます。外国の方が見えられる前で、日本人が造り出して来たものを日本人が踏みにじっていく光景が寂しくてなりません。このようなことが繰り返されると拝観できなくなるかもしれません。長い時間を掛けて創り上げられる文化を大切にしていきましょう。そして先人たちを超える世界にしていきましょう。

追伸
連日、あちこち飛び回っています。その日その日、天気などいろいろ考えて行けるのですから、とても幸せなことです。

猛暑の影響が出ているところが見受けられます。やはり南向きの木々の色づきがよくないようです。すすけたような朱や黄になっています。北向きや木々の間のものは、どうにかそこそこ色づいています。何箇所かで見頃を迎えているようですが、来週(11月21日の週)に多くのところで見頃を迎えそうです。

『 秋雨 』や『 女心と秋の空 』の言葉はどこえやらと天気に恵まれています。日本晴れの好天だと、日差しが強く汗ばむ気候だけど、どこか冬の気配を感じます。これも『 秋 』が短くなってきているからでしょうか。

そして余談ですが、私は祇園から足が遠のいています。撮影後、レタッチなど後処理もあり、くたくたでへとへとなもんで、さすがに行けません。寂しいな〜(笑)
楽しくいこう! (2010年10月26日更新)
前回、テレビを見ないと書いたので、今回は少しネットについて。

意外かもしれませんが、ネットも必要最低限です。月額通信費は500円から1000円ほど。接続時間にすると1ヶ月に150分から300分ほどで、1日に換算すると5分から10分です。実際のところ、2日に1回程度なんで、1回当たり10分から20分です。ちなみにプロバイダの年会費は6300円( 京都のネット普及のために設立された半官半民の会社が前身 )。月額だと525円。つまり、月額のネット代は総額1000円から1500円です。

ネットですることは、撮影に関することを調べたり、アートに関することをイタリア、フランスやニューヨークなどのサイトを見て調べることです。常は、気象庁の天気予報は必須( 天気図もしっかり確認出来るんですから!! )で、撮影地などの専門的なことの下調べ( しっかりしたことを調べるには、やはり図書館が一番でしょうか、度々図書館通いをします )に、真箏さんのブログでほっこりといったところです。真箏さんのブログで、コメントなしに吉兆さんのお料理二品が『 ど〜ん! 』と出て来たときは大笑い。時は金なりで、これ以外は時間とお金の無駄なんで、さっさとネットから退散です。ネットを使うようになってもう20年近くになるんじゃないでしょうか。ネットはあくまでも道具、道具ですので使い方にも注意が必要です。

10年近く前になりますか、ここにサイトを開設したとき、2000年のことですのでまだまだ一般的にもネットは馴染みがありませんでしたが、私が花街のあることないことを書きまくっていると疑われたことがありました。なんのことか解らないもんだからパソコンを持って行って見せた思い出があります。当時から有名だった『 2○△× 』のことです。その時、残念ながら( 否、幸運にも! )知りませんでした。

だれに教えてもらったのでしょう、『 2○△× 』を見ますと4、5人ほどが居ついて、異臭を放ち、新鮮な水も流れ込まない、光も差し込まない、暗がりの中の腐った沼地だった記憶が残っています。今でも覚えている初めて見て思ったことは、『 腐ってる 』。 『 2○△× 』を最初で最後に見たときでした。こんなサイトは興味本位であれ、見る必要なし。精神衛生上、有害です。いまだに周りから『 2○△× 』の噂が聞こえてきますが、見たいとも思いません。

私が写真を撮ることにもつながりますが、常に相手が喜んでくれたらとの思いで撮っています。相手に喜んでもらえたものが撮れた時の嬉しさといったら、これほど幸せなことはないです。常はアートも含めてそういったものを撮っていこうと考えています。その他に『 写真の使命 』と思っていることは、『 戦争や社会問題などのジャーナリズムに関係すること 』です。身近ではフォトグラファーの『 広河隆一 』さんが編集されている『 DAYS JAPAN 』がそれに当たります。『 広河隆一 』という実名でここまでやることは、大変なことです。それこそ常日頃、日常から生死を賭けています。

ネットもこのようなジャーナリズムに関係することでしたら不特定多数の人が見るであろう中で、あくまでも『 実名 』であれこれ話すこともいいのではと思います。しかし、個人的なことをあれこれ話す場ではないでしょう。そのようなことを話したいのであれば、オフ会など開いて、そこで話せば済むこと。そして『 匿名 』ですから、たちが悪い。ますます好き放題に言いたい放題。私はこの匿名も嫌いです。なにかを言うのであれば、なぜ実名で堂々と話せないのでしょうか。巨大権力などに意見するときなどは解りますが、他人のことをあれこれ好き放題に話すのはいい加減に止めて欲しい。

『 2○△× 』ではありませんが、写真のことで思い出しました。もう2年ほど経つのでしょうか、コピーを見せてもらっただけですので記憶が曖昧ですが、『 要注意人物 』などとして7、8名の写真が暴力的にネット上に掲載されたようです。舞妓さんが出演するところに必ず出現するという7、8名の人たちがいます。なにか恨みをかったからでしょうか、写真が掲載されたようです。私はこの人たちと関わりたくありませんのでどうのこうの言うつもりはありませんし、先にも書きましたが、なにかを言うのなら、個人的なことですので、不特定多数の人が見るネット上ではなく、直接言います。今も掲載されているのでしょうか。この掲載も匿名だったようです。こんなことをしてもなんの解決にもなりません。写真を業としている者として、このような使われ方をする写真に寂しさを覚えます。

ネットの使い方で注意しないといけないことが、この匿名性です。否、注意しなくてもいいように使いたいものです。見る人も楽しくなる使い方なら問題ないですよね。折角、この世に奇跡的に生を授かり、一度きりの人生、楽しい時間を過ごしたいものです。

追伸
今日26日、木枯し1号が吹いたようです。いつだったか『 しろばんば 』がどこからか可愛く漂ってきて、寒さが近づいていることを感じています。

ところで、祇園白川沿いの桜、梅、モミジの葉が無残な枯れ方をしています。今日もゆっくり寂しく眺めました。私たち人間がこのような状況にしてしまっているのです。可哀そうでなりません。来年、どんな花を見せてくれるのか、心配です。今後の気象も心配です。今年と同じ猛暑になるのでしょうか。そうなれば、本当に怖いです。人間にも影響がないはずがありません。これまで以上の紫外線を浴びていそうでなりません。人間が招いている温暖化が、ますます動植物に与える影響の大きさを広げています。
プロ (2010年10月18日更新)
私はテレビをまったく見ません。家に居るとき、就寝以外は、『 α-STATION(アルファステーション、FM京都) 』を掛けています。メジャー、インディーズといろいろな音楽に触れることが出来、心地いい音楽に包まれながら、仕事をするには最高です。DJの軽快なトークが、更に後押ししてくれます。

そのトークで、聞き入ることもあります。洋楽番組で、音楽を愛して愛して愛してやまないことが、そのトークから伝わってきます。ミュージシャンだけでなく、プロデューサー、アレンジャー、レーベルなどなど、あらゆる角度から切り込む音楽の話は秀逸。芸大などに招かれて講演もされています。その話は、『 ここは聞きごたえありますよ 』、『 これは最高! 』、『 私も大好きですね 』、などなどいいところをどんどん引き出してくる内容。ミュージシャンも人間ですので得手不得手があるはずなんですが、決してこれはダメですねなどの否定的な批判はまったくありません。聞いてて、とても気持ちがいい。あるとき『 プロならばセールスを考えないといけない 』と話されます。『 シングル、アルバムを作るには、ミュージシャンだけでなく、とても沢山の人が関わっている、そういったことをしっかり考えないといけない 』と。ミュージシャンはアーティストだから、自分たちの音楽をと考えるのは当然だが、セールスがあってのこと。アーティストの音楽性を活かしながら、セールスに結びつけていくことの大切さを話されます。番組ではここに書いたようなくどくどとした話じゃなかったですよ(笑) さらりとした話でした。そこが凄いところ。噺家になったらと言われる口調で、愛してやまない音楽を深く深く聞かせてくれます。

大好きなDJ、その方は、『 あっくん 』こと後藤晃宏(ごとうあきひろ)さん。ギタリストで、TRASH(トラッシュ)、THE JANGO(ジャンゴ)、RAJAS(ラジャス)のメンバー。番組は、『 TWILIGHT AVENUE (トワイライトアウ゛ェニュー、土日午後7時―9時) 』。ブログは、『 ミックスモッヅ 』。

その『 あっくん 』と『 しもぐち☆雅充(しもぐちスターまさみつ、ブログ) 』さんが主催します不定期イベント、レトロロックフェスティバルが先週末行われています。30回目という区切り、出演者達の意気込みが伝わってきます。仕事が溜まりに溜まりまくっているしどうしようと、ライブ前日まで悩みます。私にプロのあり方を教え続けているあっくんの音楽を聴きたい、ステージを見たい。どれだけ大切な大きな影響を与えてくれているか。聞きに行こうと前日夕方に予約します。初参戦です。あ〜気持ちいい〜(笑)

当日、納品などあれこれ済まして、開演20分前に『 モダンタイムス 』へ。ある程度予想してましたが、既に超満員。どこに座ろうじゃなく、どこに立とうかという状況。とても中に入っていけそうにないし、少しでもゆっくり楽しもうと一番後ろのカウンターのところにします。なにかつまみながらビールを飲んで楽しむことにします。それにしても多い。頭越しに見えるかな〜 注文も気にします。1ドリンク込ですので、一巡するまで待ちます。スタッフもてんてこまいです。一段落したところで注文。食事が美味しいライブハウスということで、和風ナンピザを注文。美味しい! ある程度量もあり、ビールを楽しみながらつまみます。カウンター前でよかった(笑)

そしてライブは楽しく、聞きごたえがあります。手をたたき、声を掛け、体を音楽に乗せながら、全身で楽しみます。日頃聞きなれたDJでミュージシャンですので、自然と体が楽しんでいます。いい空間です。バンドは楽しみながら、いろんな趣向で楽しませてくれます。聴衆、否、この会場の奴らは、サポーターですね、みんな楽しそうに聞いています。みんな笑顔。本当にいい空間です。お互いが楽しめて、楽しんで、ひとつになれることは、最高! あっくんとしもぐち☆雅充のお二人はずっと続けると話しています。次回は、11月20日(土)。そうそう、今回は200人を超えたとのこと。このライブ最高動員で、会場最高だろうとのこと。本当に凄かった。

区切りとあって、いろんな仕掛けがあり、4時間にも及びました。大笑いするほど楽しいパフォーマンスに唸らせるギターソロなど、めくるめくステージだったので、長さを感じませんでした。心から、全身で楽しめました。そして、プロのなんたるかを感じました。とても厳しい世情でお互いがどうすれば楽しめるかを必死で考えているレトロロックフェスティバルでした。聞きに来てよかった。常に本物に接する、一流に触れることを考えていますが、本物とか一流とはどういうことだと考えるようになっています。今に生きている中で本物とか一流はなんだと。得もするとブランドや売れっ子などに流れそうですが、それだけじゃないだろうと思うようになっています。

忘れてはいけないことがもう一つ、あっくんが惚れこんでいるシンガーを紹介しなければ。『 Yammy(ヤミー) 』といいます。α-STATIONでは、『YAM YAM YAMMY(月曜午後9時−10時)』を担当。レトロロックフェスティバルでは、『 TRASH feat. Yammy 』として出演していますが、もともとはソロ活動をしています。なんてったって繊細で迫力のある歌唱力が凄い。存在感もどんどん大きくなっています。ソロでもバンドでも羽ばたいて欲しい人達です。身近に凄い人達が沢山います。

追伸
最近、行く先々で葉の色づきなどを見るようにしています。今年はこれまでにない状況を感じています。残暑厳しいときでも、厚みのある葉はそれなりに色づいて秋を演出していましたが、今年の猛暑ではどうしようもなかったのでしょう。桜の中に見るも無残な色で枯れ始めているものを見ます。来年の開花まで心配になってきます。綺麗な花を咲かせるのでしょうか。楓など薄い葉はもっと惨いことになっているかと思いきや、結構緑緑しています。しかし、この緑が一気に抜けたように枯れ始めているものを目にします。よくよく見ると小枝から枯れているものがあります。銀杏なども黄色じゃなく白っぽい感じです。どうなっているのでしょう。やはり葉が焼けているのでしょうか。2か月に及ぶ猛暑でしたので、今の時期、とても秋らしく感じますが、まだ25℃を超える夏日が度々あります。実際は厳しい残暑が続いているのでしょう。今まで経験したことがない紅葉になりそうな気配です。
感謝、感謝、感謝 (2010年10月10日更新)
最近、ますます寺院巡りを急いています。なんてったって京都の秋が深まって来ますと半端じゃない観光客であふれ返ります。つい最近は、何十年ぶりでしょう、『 北山鹿苑寺(ほくざんろくおんじ、金閣寺) 』に行っています。以前は漠然と見ていたようです、全然記憶に残っていません。当然平日に拝観が始まる時間に合わせて行ったんですが、人、人、人。そしてどんどん増えてきます。拝観開始時間に合わせたのは、観光客が少ないときというよりも、もっと大切な理由があるからなんですが、それにしてもこの多さには驚きました。土日だとどうなっているの! 外国の方の多さも凄い。外国の方好みなんでしょうね。

さて、ブツ撮りをされる方には当然のことですが、光の方向で被写体の質感・彩度などが違うので、北山鹿苑寺では朝一の時間を選びました。これから冬至に向かって、太陽の高度はどんどん下がってきますし、作品作りには面白くなってくるのでしょうが、仕事用としては難しくなってくるように思えます。建物や庭園の位置を考えて、計画を練ります。

そんなこんなであちこち飛び回っています。そんな中、観光客の方が明らかに撮って欲しそうにされているのが判るんですが、とてもそんな余裕なんてありません。1組撮れば、次々頼まれるのは目に見えています。時間に余裕があったら、喜んで撮りますからね〜

風景、行事、ブライダルなどあれこれ対応しながら、最近まで行われていた『 温習会 』には『 お部屋見舞 』のお届。特に風景のとき、時間が読めませんので、ますます必死です。思い返すと必死だけど始終冷静に撮影出来ていたな〜 どこかに余裕があるようになってきてます。大勢の観光客を前に、撮りたい瞬間になるのを待つのは厳しい条件なんですが、妥協したくないことですので、『 本当に撮りたい 』との思いが本物になっているようです。観光客の方が楽しんでいるのを嬉しくその瞬間を待っていますと、神様が一瞬ご褒美を与えてくれるんです。あんなにたくさんの観光客であふれているのに風やさざ波が聞こえてくる静かな写真を撮らせてくれます。丁寧に丁寧に撮りますので時間が読めなくて当然です。ところが不思議と早く終わることもあります。ますます写真の神様に感謝。

くたくたですが、それっと祗園に急ぎます。前もって目星をつけているお店で求めて、楽屋へ。出番直前のためお願いして帰ったり、とっくに出番が終わっていて、『 もう帰りましたよ 』とのことでお家に届けることになり、『 お部屋見舞 』が『 お家見舞 』(笑)になったり、出番直後で本人に直接渡せたりと、あれこれあってこれもまた楽しい時間です。1ヶ月の都をどりがどれほど大変かと思いますが、各流派のお家元をはじめ、相当な方々が観劇に訪れる『 温習会 』の独特の雰囲気に、『 緊張しました 』。舞台を終えた舞妓さんに聞いた時のことです。古典を舞うことの重みを感じます。ささやかな『 お部屋見舞 』ですが、楽しい時間を過ごす足しになれば嬉しい限りです。会っただけで晴れやかな気分にしてくれる芸舞妓さん。いつ体を休めているのと思うのに、常に笑顔で接してくれる芸舞妓さん。本当に感謝です。

今日もとても緊張する撮影でしたが、楽しく、面白い1日でした。午前中は一生に1、2度の場面に立ち会わせて頂き、担当される方にとっては初めての大役。とんでもない緊張が伝わってきます。室内全体にフラットな光のため、構図勝負。しかし、奇を狙わず、真正面から臨みます。緊張の時間でした。そして午後は大阪遠征。ミニライブの撮影で、午前の『 和 』から一気に『 洋 』。混乱するかと思いきや、まったく見方が違うのか違和感なく入っていけます。人生の一部、とても大切な時間。『 今 』を精一杯大切に、そして明日を夢見ている舞台。階段を上っていくような写真が撮れているでしょうか。どんな仕上がりになるか楽しみです。1日中、かけがえのない撮影に立ち会えています。私が行うことは、全力で最高と思える写真を撮ること。結果は判りませんが、これまでで一番と思える写真を撮ること。常に全力。喜んでもらえる写真を撮るだけです。笑顔になり、いつまでも大切にしてもらえる写真を撮りたいものです。こんな機会をもらい、本当に幸せです。

ところで全然違う楽しみ。大阪ということで、『 モンシュシュ堂島本店 』に行こうと決めていました。人気になり、どれほど経つのでしょうか。あの『 堂島ロール 』が食べたくて、もう夕方ですが、向かいます。売り切れになっていませんように。『 すごいな〜 』 行列が出来ています。夕食後のデザートで、ゆるりと楽しむことにします。内心は、『 早く食べたい〜 』

さて、10月1日、2日に『 つくつくぼうし 』が鳴いてました。まだ、どこかで鳴いているのでしょうか。最近も3℃から5℃、気温は高めのようです。今後も続くのでしょうか。そしてデフレ下での円高。80円を切りそうな気配です。経済もどうなっていくのでしょうか。

追伸
デザートで食べました、『 堂島ロール 』。美味し〜い。スポンジ、生クリームともしっかりした食べ応えのある質感です。最近のケーキは、材料費を下げるためでしょうが、スポンジは頼りないし、生クリームも軽いしで、食べた満足感がとても低い。この『 堂島ロール 』もどんなもんかと思っていましたが、人気のはずです。美味しくて、満足感を感じます。いや〜、美味しい。久し振りに『 吉川リスト 』に追加です(笑)
吉川流『 京舞井上流 』の楽しみ方入門 (2010年9月26日更新)
23日から急に寒くなりました。一気に5、6℃も下がっています。しかし、これでも例年より3℃から5℃も高いようです。全体的に気温が上がりだしているのでしょうか。植物の生育分布がどのように変化していくのか本当に心配です。これまで見てきた光景が、変わっていくのかもしれません。

さて、温習会が近づいてきました。立方(たちかた、舞方)に対する私の楽しみ方や見方を少しお話します。全然的外れな見方をしているところもあるでしょうが、それもこれも含めて、違うやろなどと『 突っ込み 』ながらでも、楽しんで頂けたらと思います。

それでは流派に関係ない、全般にわたることから。

まず、兎に角、所作の美しさ。動きの美しさを堪能されることでしょう。これは様々な日本文化に共通することでしょう、型の美しさを観て、感じてもらえることでしょう。芸歴を重ねますと、普段の生活の動きにも垣間見れ、それはそれは美しく、色気があり、ドキッとすることがあります。姿勢、腰位置、足の運び、手先、舞扇などの持ち物の扱い方などを観て下さい。美しさを感じて頂けるでしょう。

次に衣装。役柄に合わせた衣装を着けています。お家元を筆頭に、お師匠さんたちがしっかり確認して決められています。よりその役柄に合う衣装をと厳しい目で確認されています。衣装の形、柄、配色などの美しさを観て楽しんで頂けることでしょう。

そして振り。地唄、長唄などの唄に合わせて振り付けされています。この振りですが、具象的なもの、抽象的なもの、そして唄の内容には関係ないものと大別して3通りあるでしょうか。

具象的なものは、唄に書かれている情景をそのまま表現しています。文をつづるところなどが思い出されます。

抽象的なものは、唄の内容そのままの振りではなく、あることを通して、間接的に表現したいことを感じさせます。

そして唄の内容とは関係ない振り。私が舞を見始めたとき、とても悩まされました。この唄で、どうしてこの振りが付いているのだろうと。振り付けされている代々のお家元にはそれぞれのしっかりした理由があると思います。私の見方では次のようなことを感じています。温習会で舞われる古典は、1曲20分前後の長さです。立方は緊張して舞っていますが、見る方としてもすべてを緊張して見ることはやはり大変なことです。このようなことなどから唄の内容に合わせた具象的・抽象的な振りとは関係ない、調子のいい振りだったり、動きのある振りだったりが挟んであり、いい意味で緊張をほぐす瞬間が創られているように感じています。振付師の遊び心もあるかもしれません。メリハリといいますか、起承転結といいますか、唄の流れも考えて、全体を構成していたりもするのではないでしょうか。

それからこの振りには、男舞と女舞があります。猩々などの精霊や風景を唄ったものは、曲調により振付師がどちらの舞にするか決められているように感じています。

さて、京舞井上流。これからは、と、く、に、心して読んで下さい。ますます勝手なことを書いているかもしれませんが、こんな見方もあるの?ってな感じでいいですので、楽しさに深さを感じてもらえれば嬉しい限りです。悩ませることになりましたら、すみません(笑)

京舞井上流は、『 踊り 』ではなく『 舞 』で、おいどを落とし、能掛かりで人形振りを表現に取り入れています。能掛かりとは、能楽堂で舞われる『 能 』のこと、人形振りとは『 文楽人形浄瑠璃 』のことです。私は度々書いていますが、京舞井上流は至難の表現方法と感じています。

まず、舞と踊り。明確な定義はなさそうですが、おおまか前後左右の動きで表現するのが『 舞 』、それに上下の動きが加わったものが『 踊り 』などと言われています。京舞井上流に上下の動きはないのかといいますと、とても少ないのではと思っていますが、あります。この舞の動きにも関係するのでしょう、おいど、腰を落とした姿勢が基本になっています。太もも、ふくらはぎ、膝にとても負担のかかる姿勢です。

次に、能掛かりで人形振りの表現。
喜怒哀楽を顔に表わさず、『 無表情 』で舞います。この無表情も、創るものだと感じています。至難。このことを考えただけでも、凄さを感じます。『 無表情の表情 』は、創れそうで創れません。五世井上八千代お家元の舞を是非見て頂きたい。五世井上八千代お家元は、常々表現するにはほど遠いと言われていますが、是非、お家元が舞われているときの『 無表情 』を観て頂きたい。そしてこの無表情の表情を通して、喜怒哀楽などを表現することになります。

そして能掛かり。能の動きが随所に取り入れられています。抽象的な表現で、極力振りをそぎ落とし、必要最低限なもので表現しようとしているように感じています。能の所作と切り詰められた振りで構成された演目は、『 これも舞なの? 』と思われることでしょう。動きが少ない分、表現するには至難さと表裏一体となり、立方には最上の技量が求められるように感じています。見る方も緊張感を求められます。

それから人形振り。人の滑らかな動きじゃなく、人形浄瑠璃に見られます誇張した動きが舞に取り入れられています。振り付けの強弱にもなっていると思いますが、それ以上に立方の気配を消し去り、人形という魂をもたないものにのり移り、新たな生命を吹き込むことで、役柄を表現しようとしているように感じています。立方自身が人形になり、役柄になりきるための表現手段のように感じています。文楽人形浄瑠璃を観て、泣いて、笑います。人形に命が宿り、人々を感動させます。その逆のことに臨み、表現しようとしているように感じています。ますます至難。

人は見て感動するのではなく、感じて感動するのでしょう。具象的だと唄の説明になり、なにがしかの感動にはほど遠いように思いますが、抽象的だと感性に訴えますので、感動につながると思います。だからといって具象よりも抽象がいいのかというものでもないでしょう。具象的な解りやすいもので、笑ったり、泣いたりすることもとても大切なことだと思います。

そして最初にさらりと書きましたが、流派毎に基本の動きがあります。手の動かし方、舞扇の扱い方、足の運び方など流派毎の型というのでしょうか、決まり事があります。そして、演目の振り付けは流派毎に決まっています。立方によって変わることはありません。温習会で日を変えて同じ演目がありますが、立方が違いますので、表現も違ってきます。このような見方も出来、楽しいものです。いい例えじゃないかもしれませんが、今、音楽業界でカバー曲をよく耳にします。シンガーが変わると、歌が違って聞こえてきます。このことにも通じるのでしょう。

このように京舞井上流はとても個性的な表現方法を求めているように感じています。舞や踊りの表現方法にいろいろあることを感じて頂き、より深く見てもらえればと思います。いろいろな表現方法があるから、楽しく、面白い。そして是非見て頂きたいものに、お家元の舞台があります。芸舞妓さんの舞台だけでなく、お家元の舞台も是非見て下さい。お家元たちは、舞、踊りに命を掛けています。芸舞妓さんと同じ演目であっても、まったく違った舞台を観ることになることでしょう。古典だからといって古臭いなどということはありません。いいものはいい、美しいものは美しい。是非、日本文化に触れて下さい。私たちのDNAには書き込まれているのですから。

追伸
京舞井上流は『 舞 』なんですよね。何故、『 都をどり 』は『 をどり 』となっているんですか? 都をどりは『 踊り 』? これは祇園甲部に関することが書かれている書籍には大概載っています。京都府大参事槙村正直氏と万亭九代目杉浦治朗右衛門氏によって『 みやびをどり 』と提案されたところ、三世井上八千代(片山春子)氏によって『 都をどり 』はどうでしょうかと言われ、『 都をどり 』に決まったということです。

三世井上八千代氏はこのときの『 みやび 』を大切にされ、京舞井上流の舞の会に『 みやび会 』とつけられています。
ゴロゴロ (2010年9月20日更新)
あっちでゴロゴロ、こっちでゴロゴロ。女の子同士でゴロゴロ、カップルでゴロゴロ。寺院さんでお庭を見渡せる縁側での光景です。こんなことを書きますと寺院さんは咳き込まれるかもしれませんが、ゴロゴロ光景、なんか好きなんですよね(笑) みんながみんなゴロゴロしちゃうと限られた空間ですので、ゆっくり見れなくなり、困ったことになりますが、数組ぐらいでしたらほっこり温かく見守りたいものです。寺院さんのお庭はただでも非日常的ですし、ゴロゴロしているのを見るとそれだけでその空間が温かく感じられ、幸せな心持になります。先日、カップルでゴロゴロしていまして、可愛い女の子でしたが足の格好が可笑しくて、『 オイオイ 』と突っ込みながら内心クスクス笑ってました。こんなことを書くと、『 吉川さ〜ん、可愛い子ばっかり見て! 』って芸舞妓さんからそれこそ突っ込まれそうです(笑) 京都の寺院さんには大勢の観光客の方が見えられますので、そのときそのときの様子を見て、感じて、ゴロゴロして下さいね(笑) いつまでものんびりした空間であって欲しいものです。それも拝観させて頂く私達次第ですね。世の中は、食品が売れない、オフィス街は250円弁当が大人気とデフレ傾向で追い討ちを掛けるように強烈な円高基調。せめておおらかな気持ちで日々を過ごしたいものです。

その傍らで、また『 つくつくぼうし 』が鳴いていました。18日のことです。最低気温、最高気温共に例年より5℃前後高そうです。大変な猛暑でしたので最近涼しく感じていますが、まだまだ相当高い気温のようです。コスモス畑も花盛りとなるころなんですが、なんでも10月下旬が見頃かと1ヶ月遅くなりそうとのことです。最低気温8℃で紅葉スイッチオン!の秋はどうなるのでしょうか。短くなっている秋、どんな光景を見せてくれるのでしょうか。

それはそうと明後日の22日は中秋の名月。予報では傘マーク。秋とはほど遠い気候ですが、お月様は愛でたいものです。勝手な想いですね。これも自然の営みで人間にはどうすることも出来ないことですね。雨も風流、日々の自然を楽しむことにしましょう。
表現方法は違えど (2010年9月15日更新)
昨日14日に今日と、ひ〜〜〜さしぶりに30℃を切り、29℃とのこと。朝は肌寒く、日中も風が涼しく感じます。最近までは、温風でした(笑) 2ヶ月に渡る猛暑で、木が枯れたりしているそうです。また、植物の生育分布も北上しているとのこと。京都ブランドの野菜はどうなっているのでしょうか。当たり前に思っていた目の前の季節が変化しそうです。北極はどうなっているのでしょうか。小さな島国の海岸線はどうなっているのでしょうか。切実な問題です。そういえば、14日は西の方に行っていたのですが、『 つくつくぼうし 』がここぞとばかりに鳴いてました。9月の半ばです。今夏、鳴いているのをあまり聞きませんでしたが、今ごろ鳴いています。

さて、人と自然をつなげる身近な風景も特に撮り始めています。その空間は表現しているものがあるはずなんですが、感覚だけでは解らず、直感で撮り始めていました。そんな折です。そのことに関するプロの方(Kさん)に本当に偶然知り合います。『 勉強するのにいい本ありませんか? 』 すると4冊の本が贈られてきました。基礎編、エッセイ風応用編、伝説の人のものに現在活躍中の人のもの。私にとって絶妙な選択の本でした。1回読んだぐらいでは覚えられませんし、理解なんか無理ですが、それでも一気に霧が晴れたような感覚です。勉強しながらの撮影ですが、楽しくて仕方がありません。4冊を一読、基礎編は3回目になり、だいぶん頭に入ってきました。考えなくても自然に撮れるようになるには暫くかることでしょう。人が住んでいる町そのものにもつながることですので、今回のことに限らず、勉強を続けていくでしょう。それにしても選んでくれた4冊の本。プロ中のプロの選択と感謝です。感覚的にとても解り易くて、入門書としてはこれ以上にないものでした。これも神様の廻り合わせです。『 しっかり取り組め 』と神様が激をとばしてくれているようです(笑) 京舞がなんとなく解るようになるのに10年。ますます勉強しなくては(笑)

写真についても、しっかりアンテナを張って、勉強しています。生涯、勉強です。全然関係ないように思えるかもしれませんが、私にとって『 京舞井上流 』は写真の手本に思える表現方法と精神性を持っているように感じています。機会をつくって見るようにしているのは、なにも芸舞妓さんに関係するからだけではありません。そして今回の風景に関することも同じような要素を含んでいます。人が創り出す形あるものは、なにがしかの美しさを表現することになるのでしょう。そして表現することは、芸術にもつながっていくのでしょう。個人が持っている感覚・感性はしれたもの。一流に接し、本物を感じ、判る感性を身につけたいものです。今回の新たな勉強でどんな感性を身につけることが出来るか、とても楽しみです。

嬉しいことに恩人が増えていきます。決して義理を欠くことがない様に、心して臨みます。
問われているもの (2010年9月6日更新)
今日、6日も36.2℃だって。今夏は、もう35日前後、猛暑日です。梅雨明けした7月17日からだから、大変な夏です。梅雨明けする前は空梅雨かと思えたのが、一転して短時間の豪雨の連続。雨は大地に染み込めずに表面を流れ去ったことでしょう。そして、冷夏の予報が、この猛暑。長い猛暑の残暑が続きそうです。残暑が厳しいと秋の紅葉の美しさを奪ってしまいます。それに来春の花粉症が怖い(笑)

そしてこの猛暑で長年付き合っているパソコンが熱中症でダウン(笑) 外で撮影することが多く、内外の温度差で体調を崩すことを心配してエアコンをつけないようにしていましたが、部屋の温度にパソコンがついていけず、ダウン。ちなみに私もこれまで経験したことのない気温に熱中症でダウンしてしまいました。こんな気温なんか、私のDNAには記憶されていません。設計仕様外でダウンしました(泣) 撮影の時は2リットルのペットボトルをもって臨んでいますが、対応しきれません。帰って缶ビールを飲もうものなら、体が脱水症状みたいになっているのでしょう、ビールを一気に吸収して、私は更にダウン(泣) ビアガーデンのお誘いも度々あったんですが、こんな調子ですので怖くてお断りです。生ビールの美味しいこんなに暑い夏に、飲めません(泣)

さてさて、2ヶ月もhpを更新していませんので、さすがに今日はパソコンが喜ぶほどにエアコンを効かせています。この異常気象は温暖化のせいでしょう。猛暑でますますエアコンを使うことは、更に温暖化に拍車を掛けること。地球がどうなっていくのか、本当に怖い。予報では冬が厳しくなるとか。直ぐ先のことが、どうなるのか怖い。直ぐ先は、冬よりまず台風でした。例年なら20個ほど発生しているのでしょうか。9号が日本海へ移動しています。大きな台風が来るかもしれないとのこと。

最近は風景を撮ることが多いのですが、美しい季節を撮りたいものです。今年は秋があるのでしょうか。ちりちりで茶色の葉をしたモミジが目に浮かびます。温暖化を止めないと、人間を含めた生物が生きていくのが難しく、厳しくなっていきます。もしかしたら温暖化スパイラルに巻き込まれ出しているのかもしれません。急がれます。
団扇が結ぶもの (2010年7月9日更新)
あー、頭が痛い。水分補給をしくじったみたい。軽い熱中症だ。α(FM京都)からDJが言っています、最高気温31.8℃、湿度82%。湿度が異常に高い。最近はいつもそう。こんなに湿度が高いことって、そんなにあったかな... 結構動き回ったから熱が体に溜まったみたい。こんな時、水分補給で対処出来るのかな。 ...しんどい。

ところで7月に入り、京の町は祇園祭一色です。繁華街はコンチキチンのお囃子が流れ、京都駅も含めて、いたるところに祇園祭の提灯が提げられ、盛り上げています。1ヶ月に渡るお祭。昔から17日の巡行前後に梅雨明けと言われます。

梅雨の真っ最中なのに京都では雨が少なく感じます。予報では雨マークになってても、降らないことが多いように思えます。空梅雨、か。例年のように太平洋上で台風が発生しないと言っています。冷夏の兆しとか。空梅雨で冷夏。農作物が心配です。本当にここ3年ほど、異常気象がひどくなっています。見えない紫外線の影響も怖い。どうなっていくのでしょう。温暖化を止めないと...

さて、祇園町ではこの時期、『 小丸屋住井 』さんで作られた『 団扇 』を配ります。40本前後の竹の骨と柄も竹というズシリとした団扇です。表裏に家紋と芸舞妓さんの名前が刷られています。扇ぐといい風がそよぎますが、使うのがもったいなくて飾りのようにしています。芸舞妓さんがご贔屓にしているお店にたくさんの団扇が飾ってあるのを見られたことがあるでしょう。今日、初めての芸妓さんのものを頂きました。本当に嬉しく、幸せな気持ちになります。このご縁を大切にしなければ。携帯端末を含めてネット社会に不慣れで距離感が判らなくなり、人間同士は希薄な関係になりがちで、すれ違う。勝手な思い込みで勘違いをしないように、顔と顔を付き合わせた関係を大切にしたいものです。

七夕の出来事でした。
解らないこと (2010年6月20日更新)
そこにはおチビちゃんがいます。4本の手足を広げ、お腹を地面に着けて寝そべっています。アイドル犬とまったく同じです。

そうなんだ。先月なのかな、アイドル犬は天国に召されたんだ。雑誌やTVにも出たことがあるということで、私は密かにアイドル犬と呼んでいました。駒寄せにつながれているときはいつも、4本の手足を広げ、お腹を地面に着けて寝そべっていました。近くを通ったときは挨拶に寄ります。けど、いつもそっけなかった。

『 なんや、あんたかいな。あたいは、イケメンと同性しか興味ないの。申し訳ないけど、そういう訳なの。悪気は無いんだから。ごめんなさいね。知らない顔じゃないから、なにか用? もうすぐお散歩に行くかもしれないから、少しお昼寝したいんだけど。 』

そうなんだ。もう、いないんだ。とっても賢く、美人犬でした。今でも思うことがあります。お散歩の犬はハアハアいいながら先を急ぐものと思っていますが、アイドル犬は違っていました。お散歩の途中、引っ張っても動こうとしないことが頻繁なのです。どうしてなのか未だに考えてしまいます。歩いてもぼちぼちと進みます。お散歩姿を思い出すと笑けてきます。なにを思っていたのだろう。なにがしたかったのだろう。

去年かその前の年の冬。アイドル犬に挨拶に寄りました。私の手は寒さで冷たくなっていて、犬は寒さに強いとはいえ、冷たい手でなでるのは如何なものか。手をこすり、息を吹きかけて少しでも温めます。そしてなでようとしたら、アイドル犬は私の手をなめるのです。暖めてくれるのです。動きから寒いのが判ったんですね。母性本能でしょうか。いっつもそっけなかったのにね。

そこにはおチビちゃんがいます。同じ名前を襲名しています。そして同じ格好で寝そべっています。アイドル犬はどうしてお散歩のとき動かなかったのだろう。解るときがくるのでしょうか。忘れることが出来ない大切な思い出です。
未来も廻りて萌ゆ (2010年5月27日更新)
相変わらず、新緑の撮影です。撮影は体力勝負もあり、最近の適当な雨は助かります。青空、嬉しいのは雲が流れている青空で、そんな日は朝から夕方まで昼抜きで歩き回わります。太陽の位置で陰影が変わりますので、内心、必死です。太陽とかけっこしているようです。

撮りたい構図で、出来るだけ丁寧に、しかし、急いで。相反することですが、ぎりぎりまで粘ります。観光客がいないなんて考えられない場所で、京都でそんなところはないですね(笑)、出来るだけ人がいない構図とか期待する構図に近いものを待ったりと急ぎたいけどひたすら待ちと、5月の満天から降り注ぐ紫外線を浴びながら精神的にもしんどい取り組みです。どうも首筋が相当焦げているようです(笑) 少しでも満足したものを撮りたいので、粘ります。写真を見た人が、笑顔になり、幸せを感じてもらいたいから。大切な時間を割いて見てくれる人に歓んでもらいたいから。

太陽の光が風に揺らぐ若葉に透けてきらめく様は、とても心を新鮮にしてくれます。また、若葉の側にいますと、生まれたての澄み切った空気に接しているようで心地いい。萌え輝く世界のなんと美しいこと。

若葉に支えられて天に浮かぶような通天橋。無数の若葉が寄り添い囲み、着飾ったような清水の舞台。両側からかぶさるように茂る若葉の中を三門から天に一気に伸びる石段の男坂。細い道沿いを行く人達に囁きかけているような若葉茂る琵琶湖疏水。読書する人、散歩する人、緑の土手に腰掛けている人、ジョギングしている人、遥か彼方まで遮るものなく見渡せる若葉のトンネルが続く賀茂川沿い。天と一体の大きな池を取り囲む大沢の若葉。京都に拡がる無数のとても個性的な多くの場所。今、ここかしこでみずみずしく若葉が輝いています。

いつの日か写真を見て、『こんな季節があったのよ』と懐かしむことがないようにこれからも見つめていきたい。

追伸
あちこち行きますと思いも寄らないことに出くわします。毎日のごとく行くところじゃないのでただ単に知らないだけなんですが(笑)

それは賀茂川に行ったとき。遠目になんだか細く長い棒を持った人がたくさん見えますし、なにかを覗いているような人など両岸にうじゃうじゃいます。『あ〜〜〜』ってさすがに声に出たのでは。側まで行きますと学生が測量実習中のようです。こんなこともしてるんですね。単位を落とさないように。

とある大池。池沿いに回り出しますと『通行止め』の札。なんだろうと思いながら迂回しますとタタミ2畳ほどの大きなレフ板が池の中に設置されていますし、大きな照明が木陰をさんぜんと照らしています。『本番!』 よくみる俳優さんのお侍さんが脇差をネットに向けて投げつけています。場面が浮かびます。逃げ行く敵の背中に刺さる脇差。いつかは出会うだろうと思っていました時代劇のロケ。日曜日でしたが、快晴ですのでロケが張られたのでしょう。番組を聞いとけばよかった。
悔しさ (2010年5月5日更新)
5月に入り、新緑(最近は『青もみじ』と言われています)の撮影で忙しくしています。私は、太陽の光にキラキラと輝く、この新緑の季節が一番好きで、昨年まではほとんど楽しく眺めるばかりでした。写真に撮るとすれば、神社仏閣で行われます行事の背景に活かすことぐらい。

こうやって被写体として向き合おうとしたとき、どこの新緑が好きだっけと考え込んでしまいます。資料を調べ、記憶をたどりながら、撮影プランを練ります。建物やお庭と太陽の位置で陰影が出来ますので、どの時間に行けば期待するような写真が撮影出来るかを考えます。新緑は長いようで短い光景、桜と同じような印象をもっていますので、急がれます。

暫く好天に恵まれそうですが、連休、京都の連休の人出の多さを想像し、一瞬、連休後がいいのではとの考えもよぎりますが、美しい新緑が撮りたく、覚悟して計画します。しかし、どうなんでしょう。この時期にあちこち廻るのは初めてですが、思ったよりも多くありません。むしろ少なく感じます。大きいところにはツアーで押しかけますが、それも少なく感じます。例年、こんなものなんでしょうか。それとも、やはり、不況の影響なんでしょうか。

桜の撮影で真っ黒に日焼けしましたが、新緑で更に焼けそうです。温暖化の影響による異常気象なんでしょう、5日は『立夏』ですが、30.9℃を記録しています。夏日です。あまりの暑さからか、体が長袖の腕まくりをするなと言っています。清水寺にいましたが、舞台にあまり人がいません。舞台からの光景を少し楽しんだら、みんな日陰に退避しています。あまりに光線が強く、暑い。( 5月9日(日、母の日)は温暖化をテーマに取り上げたライブ、[ Live ! Do You KYOTO ? 2010 ] が行われます! )

こんな中、あちこち駆け回っていますが、『知ること』と『感じること』の大切さを改めて突きつけられています。それはある寺院を撮影した帰りに、全然違う場所に張ってあった広告写真を見たときのことです。一般的に見る観光ポスターや風景写真ではないもので、その寺院を撮影したものだったんですが、その場所の特徴を活かした強さを感じるものでした。小一時間前にガイドが説明しているのを聞き、その地を歩いていましたが、ちゃんと認識していなかったし、感じていなかった。似たような近い写真は撮影していますが、張ってあったような強さを感じるものは撮れていません。どんなところなのかということをちゃんと写真に表現出来るようにならないと、単に表面を撮っただけの形にはまった弱い写真に過ぎません。撮影直後に偶然見かけた広告写真でしたが、これも神様のお導きなんでしょうか、大きな勉強になっています。
2010都をどりチケットについて (2010年5月1日更新)
いまだに日陰や風にエアコンのような冷気を感じますが、とても穏やかな日中でした。今日は月が代わり、5月。昨日まで祇園町で『都をどり』が行われていました。連休中だからでしょう、花見小路沿いの大看板は撤去されず、なごりを残しつつ、来年の予告もしているようです。今回も芸舞妓さんのみならず『都をどり』に関わられたスタッフ全員、無事、千秋楽を終えられています。1日4回30日で120回公演。凄いことです。

今回もとても多くの方にお申し込み頂き、ありがとうございました。リピーターに、初めての方に、少しでも『都をどり』のことを解って頂こうと毎回取り組んでいますが、『とても楽しめました!』とのお声を頂き、私としても嬉しく思っています。ありがとうございました。

世情はこれから益々厳しくなっていくことでしょう。そのような中ですが、一度きりの人生です、おおいに楽しみましょう。来年も『都をどり』は行われます。何度見ても新たな発見がある『都をどり』です。京都の春を楽しまれる折には、是非、『都をどり』もご予定に入れて下さい。今後も宜しくお願い致します。

追伸
先斗町では今日1日から『 鴨川をどり 』が始まっています。五花街それぞれ特徴がありますので、是非、足を運んで下さい。

鴨川をどり ( 先斗町歌舞会 )
2010年5月1日(土)−5月24日(月)
『 鴨川をどり 』、前夜祭 ( 京都新聞 )
衣装合わせ ( 京都新聞 )


秋のをどり

祇園をどり ( 祇園東歌舞会 )
2010年11月1日(月)−11月10日(水)
生き様 (2010年4月22日更新)
直線的な所作でありながら柔らかく、流れるように舞われます。頭からつま先、指先まで行き届いた意識。おいどを舞台に着けて舞う箇所での、裾さばきの美しさ。僅かに聞こえてくる所作の音が地唄に重なり、心地良く響いてきます。更に無表情の中に見える表情。今回初めて、なんとなく無表情の中の表情が一瞬見えたように感じます。体の中からぞくぞくぞくと震えが来ます。凄くて、美しい。

1度だけ芸妓さんが舞われたものを見ましたが、そのときは感動で涙して、それ以外は先笄を結った舞妓さんが舞うものしか見ていません。『 京舞井上流五世井上八千代 』お家元が舞われる『 黒髪 』。重みも感じます。座談会(『 澪(みを)の会 』)では、普段は教えるばかりでそれも逆手なので少しばかり苦慮したとの場を和ませて頂く余話談。『 黒髪 』は、お稽古を始めて2、3年から習う手ほどきものとのこと。振付は初世井上八千代、手踊り。

井上葉子先生の地唄『 露の蝶 』に続いて、お家元による義太夫、上方唄の『 田村 』。義太夫、上方唄が交互に入り、男舞、女舞の掛け合いの演目とのこと。少しばかり見れるようになってきたと思っていましたが、特に男舞の所作が解かっていないので、この掛け合いが解かりません。前半と後半で大きく違っていたという程度の大雑把な見方。見れるようになるにはまだまだ時間が掛かります。

最近やっと『 都をどり 』本番を見に行けるようになりましたが、第四景『 鴨川燈籠流 』(長唄)の志士と第五景『 猩々 』(浄瑠璃)の酒売の振りを凝視して、男舞の勉強をしています(笑) 他の演目も振りの所作を追っかける有様(笑) しかし、10年目にしてやっと唄と舞が一つになりだし、まだまだ表面的なものですが、舞台が見えてきました。被り物をしていても芸舞妓さんのお顔も判り、本当に楽しくなってきます。

『 京舞井上流五世井上八千代 』お家元の舞を目の前で見ることが出来る『 澪(みを)の会 』。いろいろなお話も聞かせて頂けます。普通ならありえないことです。そして著名な一流の方々に接しられている芸舞妓さんたち。気さくに接して頂いています。本当に嬉しいことです。私がやらなければいけないことは、少しでも感性を磨き、写真に表現出来るようになること。単なる表面的な美しさではなく、内面から現れてくるものを表現出来るようになることです。
2010都をどりチケットについて (2010年4月20日更新)
昨日19日にやっと今回初めての本番公演を見てきました。3月31日の『しゅうらい』以来、桜を撮影していて、祇園町も横切っただけ。祇園の写真も1枚も撮っていません。歌舞練場の中で舞妓さんを撮らせて頂く折、そのことを話しますと、『え〜、もう4月も後半になりますよ〜』 4月の祇園撮影もやっと初日です(笑)

さて、『 都をどり 』は、いよいよ後半に差し掛かりました。明治5年(1872年)に第1回が行われ、140年に渡って受け継がれています。今回は第138回。4月中、舞台は春爛漫、桜色に染まっています。まだまだ公演に間に合います。是非一度見て頂きたいものです。

今年も『 都をどり 』チケットを正規価格にてお譲り出来ます。今年で8回目です。京都の春を楽しんで頂ければと思います。

また、歌舞会で『 完売です 』と言われた方も一度お問い合わせ下さい!

それでは今年も宜しくお願い致します。( 2010都をどりチケット申込み詳細 )


都をどり 『 しゅうらい (大ざらえ) 』 ( 京都新聞 )
都をどり衣装合わせ ( 京都新聞 )


春のをどり

北野をどり ( 上七軒歌舞会 )
2010年3月25日(木)−4月7日(水)
『 北野をどり 』、前夜祭 ( 京都新聞 )
和紙緞帳の柔らかな光に包まれて ( 京都新聞 )
衣装合わせ ( 京都新聞 )

京おどり ( 宮川町歌舞会 )
2010年4月3日(土)−4月18日(日)
『 京おどり 』、前夜祭 ( 京都新聞 )
舞妓さん 『 地方 ( じかた ) デビュー 』 ( 京都新聞 )
衣装合わせ ( 読売新聞 )

鴨川をどり ( 先斗町歌舞会 )
2010年5月1日(土)−5月24日(月)
『 鴨川をどり 』、前夜祭 ( 京都新聞 )
衣装合わせ ( 京都新聞 )


秋のをどり

祇園をどり ( 祇園東歌舞会 )
2010年11月1日(月)−11月10日(水)
桜の精 (2010年4月13日更新)
ピク、ピク、ピク。ふくらはぎがケイレンしています。開花予想と天気予報をにらめっこしながら、そして朝一に空を眺め、青空が望めそうか祈ります。雲が流れていても青空が望めそうなら、ドタバタと重い機材を持って飛んで行きます。京都の桜の時期は人、人、人に車、車、車で歩道も車道も大混雑。当然、バスなんかなかなか来ないし、来ても超満員で乗れないことが度々。桜にお日様は待っていてくれませんので、歩き走りと脚に頼るが一番。体育会系で相当鍛えていましたので本領発揮!? 実際のところ使い過ぎ(?)で膝の調子もいまいち(笑) それにしても今春はよく歩き、よく走りました。体を酷使し過ぎて、今、疲労困ぱいです。体に感謝です。

昨年に引き続き、今春も桜を長く楽しめているのでしょう。2月前後に3月27日と開花予想が出され、その後、25日、20日から22日頃と早まっていき、結局、3月19日に開花宣言。昨年と同じです。これまでで一番早かった2002年3月18日に次いで2番目の速さでした。

それからが大変!? 開花宣言が出されてからの気象がこれまた昨春と同じで迷走。29日には雪まで降って、一気に冬に逆戻り。なんだか桜の精が、まだ時期が早いよって言っているように思えます。北国の神様や風の神様や八百万の神様が桜を守っているようでした。4月に入ると一転、ちょっと初夏を思わせる暑さ(なんと24.5℃)もあって一気に満開。京都では4月1日に満開宣言が出されました。

枝垂桜は比較的早く満開になるのでしょうか、そしてソメイヨシノは4月4、5日から10日前後まで満開を楽しむことが出来ています。ソメイヨシノの最後の撮影に鴨川沿いに行きましたが、北大路橋から南と北山大橋から北では咲き方に差を感じます。南の方が少し温かいのでしょう、はちきれんばかりの満開になっていました。穏やかな日が続いていましたが、11日の夜から降り出した雨。この雨も、満開に咲き誇るのを待っていたかのように優しく降り出しました。なんだか桜の木を労わるように。

まだまだこれから満開の桜を楽しめるところがあります。私ももう数箇所楽しむ予定です。そして、3月31日の『しゅうらい』以来、祇園町は通り過ぎるだけでしたが、春爛漫、桜満開の『都をどり』の本番をやっと楽しめます(笑)

追伸
昨日14日は西陣にある小さな小さなお寺、『雨宝院』の桜を撮影しに行っています。6日に行ったときは咲き初めで、満開になりそうな日を待っていました。青空が望める日に行きたかったこともあり、既に満開を予想しながらもぎりぎりまで待ちます。

たわわに咲いた桜、風が通り過ぎますと花びらが舞います。12日は1日中雨でしたが、その他は穏やかな日が続いていましたので数日前に満開になったのでしょう。観音桜などははちきれんばかりに咲き誇っています。緑の花をつける御衣黄桜は2、3分咲きでしょうか。小さなお寺は、5本ほどの満開の桜で覆い尽くされたよう。地上に舞い降りた花びらは清々しい白色。境内が真っ白に染まっているよう。

ラジオが仁和寺の御室桜が満開ですと伝えています。12日に満開になったようです。確か8日は『つぼみ膨らむ』となっていました。一気に咲くようです。市中にはまだまだ咲き誇っています桜をあちこちで見かけますが、満開の桜を楽しめるのは今週一杯でしょうか。行く春を感じます。

それにしても昨日から寒さを感じ、ジャンパーがまだまだ手放せません。
2010都をどりチケットについて (2010年4月11日更新)
開花予想に天気予報とにらめっこしながら桜を撮影しています。桜守ならず、桜追っかけです。とても歩き、走りますので脚はパンパンに張っています(笑) ソメイヨシノは、今日11日で葉桜へと移っていきそうです。

さて、都をどりは、前半から中盤に差し掛かりました。明治5年(1872年)に始まり、140年に渡って受け継がれています。4月中、舞台は春爛漫、桜色に染まっています。まだまだ後半の公演に間に合います。是非一度見て頂きたいものです。

今年も『 都をどり 』チケットを正規価格にてお譲り出来ます。今年で8回目です。京都の春を楽しんで頂ければと思います。

また、歌舞会で『 完売です 』と言われた方も一度お問い合わせ下さい!

それでは今年も宜しくお願い致します。( 2010都をどりチケット申込み詳細 )


都をどり 『 しゅうらい (大ざらえ) 』 ( 京都新聞 )
都をどり衣装合わせ ( 京都新聞 )


春のをどり

北野をどり ( 上七軒歌舞会 )
2010年3月25日(木)−4月7日(水)
『 北野をどり 』、前夜祭 ( 京都新聞 )
和紙緞帳の柔らかな光に包まれて ( 京都新聞 )
衣装合わせ ( 京都新聞 )

京おどり ( 宮川町歌舞会 )
2010年4月3日(土)−4月18日(日)
『 京おどり 』、前夜祭 ( 京都新聞 )
舞妓さん 『 地方 ( じかた ) デビュー 』 ( 京都新聞 )
衣装合わせ ( 読売新聞 )

鴨川をどり ( 先斗町歌舞会 )
2010年5月1日(土)−5月24日(月)
衣装合わせ ( 京都新聞 )


秋のをどり

祇園をどり ( 祇園東歌舞会 )
2010年11月1日(月)−11月10日(水)
寒くて、温かくて (2010年3月29日更新)
ラジオからDJとのトークが流れてきます。ゲストに『 Rie Fu(里恵 船越) 』さんだ。『 恋愛なんてヒマつぶし 』をリリー・フランキーさんと唄っています。透明感があって、可愛くて、なんだかほんわかしているメロディー。歌詞はタイトルからして哲学的といいますか、心理学的といいますか、恋愛の心情を綴っています。この唄しか聞いたことがありませんが、トークを聞いていると、しっかりした自分の世界観を持った方で、とても気になります。駅ビルでの公開放送後、ミニライブが行われるとのこと。今日の予定には間に合うから、明日の公開放送取材撮影のロケハン兼ねて聞きに行こう。

駅ビル前広場の特設ステージ。天気はいいけど、日陰の中でおまけに強い風が通り過ぎていきます。結構寒さには強いほうだけど、それでも、『寒い』。

ジャケット写真と違って(笑)、綺麗でキュートな感じの方。どこか憂いを感じます。曲が始まります。とても芯のあるしっかりした歌声。なんだか『 鬼束ちひろ 』さんを思い出す、素敵な歌声。キーボードやギターを弾き奏でながらのアコースティックなライブ。特設ステージでこんなに寒い中だけど、ライブは『人』を感じるから好きです。互いの温度を感じるのはいいですね。そして一番いいのはうまい具合につりあうこと。互いに心地いいからますますのっていく... 『 Rie Fu 』さん、ライブハウスなんかで聞きたいな。

心はほんわか気持ちよく、温かいけど、体は寒い! 3月後半なのに、なにこの気象は。温暖化、人間の大きな代償になりそうです。
2010都をどりチケットについて (2010年3月21日更新)
祇園町は3月に入り、お茶屋さんの町屋などの軒下に『都をどり』の提灯が下がり、半ば頃に四条花見小路に風物詩となっています大看板が上がり、お客様を迎える準備が整っています。既に4月頃の温かさを感じる日がありますので、少し違和感も感じますが。

地方(じかた)、立方(たちかた)のお稽古も、『舞台稽古』が始まります。芸舞妓さんの気持ちに、『いよいよ』との緊張感が走るのではないでしょうか。毎年新作の演目。今回はどのような舞台が繰り広げられるのでしょう。

さて、今年も『都をどり』チケットを正規価格にてお譲り出来ます。今年で8回目です。世情は厳しさを増していますが、是非、京都の春を楽しんでいただければと思います。また、歌舞会で『完売です』と言われた方も一度お問い合わせ下さい!

昨日19日、桜の開花宣言が出されました。昨年2009年と同じです。祇園白川の枝垂桜は早咲きですが、15、6日には7、8分咲きでした。側の桜の蕾も相当ふくらんでいましたので、最近の陽気(ちなみに20日は24℃! 初夏です)で一斉に咲くのではないでしょうか。半月ほど早まっているのでしょうか。桜開花予想は3月27日(土)から25日(木)へと早まり、その後20日から22日頃となっていました。地球温暖化で最近の気象は不安定ですがどうでしょう。昨年2009年は3月27日と発表されて19日開花、その後寒の戻りで冷え込んだりで長く咲きつづけました。ちなみに一番早かったのが、2002年の3月18日の開花。

それでは今年も宜しくお願い致します。( 2010都をどりチケット申込み詳細 )

追伸
4月第1、第2土日は、すでに完売です。昨年2009年は30日間満員御礼でした。

都をどり 『 しゅうらい (大ざらえ) 』 ( 京都新聞 )
都をどり衣装合わせ ( 京都新聞 )


春のをどり

北野をどり ( 上七軒歌舞会 )
2010年3月25日(木)−4月7日(水)
『 北野をどり 』、前夜祭 ( 京都新聞 )
和紙緞帳の柔らかな光に包まれて ( 京都新聞 )
衣装合わせ ( 京都新聞 )

京おどり ( 宮川町歌舞会 )
2010年4月3日(土)−4月18日(日)
『 京おどり 』、前夜祭 ( 京都新聞 )
舞妓さん 『 地方 ( じかた ) デビュー 』 ( 京都新聞 )
衣装合わせ ( 読売新聞 )

鴨川をどり ( 先斗町歌舞会 )
2010年5月1日(土)−5月24日(月)
衣装合わせ ( 京都新聞 )


秋のをどり

祇園をどり ( 祇園東歌舞会 )
2010年11月1日(月)−11月10日(水)
大丈夫 (2010年3月18日更新)
前回の続きです。店出し、えり替ゑを似たような撮り方で繰り返している自分に焦りを覚えたことです。料理人のことを考えましたが、これはとても参考になることでした。メニューがあり、同じような材料で調理をする。それは料理人毎に違う味になります。そしてそれを繰り返して作ることになります。すべてを創作で作り続けるなどとても困難なこと。そして、同じ料理でも経験によって調理方法が変わっていき、味も更に磨かれていくことでしょう。

写真も似たところがあるのでしょうか。そういえば、最初の頃と今では完成度が全然違います。今は、1人の店出しやえり替ゑで40、50点の写真展を出来るような変化のある写真を撮っています。そして綺麗な写真です。売り込みでした(笑) これが私の撮り方の一つと考え、これからの取り組みで更に磨きを掛けていくことになるのでしょう。

最も大切なこととして囚われない自由な感性をもつことになるのでしょうか。力を感じる写真はなにがしかの美しさがあります。自由な思考、感性を磨いて、撮影の幅を広げたいものです。前回に書きましたが、繰り返す撮影であっても、常に光を見て、感じて、その場その場でしっかりテーマをもって望めば大丈夫。今まで気付かなかったことが見えるように感性を磨いていこうと日々取り組んでいけば大丈夫。そして常に新しいことに取り組んでいけば大丈夫。繰り返すことで焦る必要はない。とどまっていたら焦ろう。被写体が人物であれ、風景であれ、失礼なことになるのだから。

今回は本当に疲れました。しかし、いい機会だったようです。最近、ますます思考が自由になり、周りが見えています。写真の幅が広がっています。
迷い、焦り (2010年3月7日更新)
何十回、否、もう三桁になっているか。全部に顔を出すことは出来ないけど、撮らせて頂けるだけ撮らせて頂いている、店出し、えり替ゑ。挨拶に廻る順番はすっかり頭の中にあり、また、行く先々の玄関、矢来、街灯、柱に電気メーターの位置など三次元で頭に浮かび、太陽の位置や天気の状況でどのような光の状態か予想して、色彩重視や質感重視などなにに重きを置くか想像し、頭に浮かんだ三次元画像を上下左右と見回しながら、予め構図を決めて、ポジショニングを取ります。スナップだから最後は成り行き次第。これまでの様々な撮影で造ってきた引出しの中からアドリブで臨むこともあります。そして移動しながら、広めの構図で撮ったから、次はバストアップで臨もうなどと、いろいろな構図で変化のあるカットを意識します。

数日前も同じように臨みました。本当にそつなく撮り終えます。しかし、愕然とします。なにを撮っているんだ。何がしかの感動があったのか。帰宅したらパソコンにデータを移し、ラフチェックをするのだが、今回は見る気も起こらない。どんなものが撮れているのかすべて判っています。なにを撮っているんだ。人生を賭け、重大な決意で新たな道を進もうとしている彼女達のなにを撮っているんだ。こんな機械的な撮り方でなにが撮れる。小奇麗な写真を撮ってどうなる。それっぽく撮ったって、彼女達に失礼なだけ。写真には撮り手の気持ちが写ります。どんなものが写っているのか。なんにも撮れていないだろう。情けなくなります。

どんなものでも二度と同じものはないのに、どう臨んだらいいのか。一流の料理人。その日、その日の食材の状態、温湿度などを見極めて、火加減、味加減を変えて行くようです。出来上がりの見た目は同じでも、味に関わる様々な要素を考慮して調理していく。一見、見た目は同じでも、必要な様々なことを考慮して対応する。そうだよな。特に最近、全体を見ると、同じような撮り方だけど、1カット、1カット、その場、その場でテーマを決めて、取り組んでいる。気付いていないことは無限にあるから常に感性を敏感にして、磨き、模索しながらも、今まで以上に取り組んでいけば、間違いではないだろう。毎回、毎回同じように思えるが、明らかに違う。撮り方に一瞬迷いが起きたが、取り組みは間違いないだろう。なんだかホッとする。あとは大切な気持ち。迷いが消えれば、気持ちも大丈夫だろう。

ここ数日、夢にまで見た、迷い。本当に焦りました。胃も痛くなりました。目をそらし、逃げても解決しないと、見たくない写真を直視し、選択しながら考え抜いた今。しっかり、取り組んできています。ごまかさず、真正面から臨んでいます。これからも、ずっと、忘れずに。

追伸
『季節は巡りて』、といいます。繰り返すこと。今年も桜の季節がやってきます。しかし、同じ桜の季節などありません。ライフワーク。これも繰り返すことでしょうか。繰り返すことで、感覚的に錯覚してしまいます。同じじゃないのに、同じだと。繰り返すことの難しさ。『一期一会』にも、繋がるのでしょうか。今回考えたことの一つです。忘れないように、次のときにでも記します。
男の気持ち (2010年2月27日更新)
その日は明日。今日13日の帰りに買おう。少し時間があるし、品定めも兼ねて様子を見ておこう。FMで、色んな種類があり、楽しいです、とDJが話していました。

エレベーターで10階へ。通路を抜けると、催事コーナーが目の前に広がります。何十店舗入っているのでしょう。う〜ん、想像通り、女性ばっかり。男がいません。臆することなくずいずいずいと進みます。見ただけで楽しくなるものを探します。価格に目がいきます。た、高い。一粒でケーキが買える(笑) 昔もらったゴディバのことが浮かびます。味わって食べなかったら怒りますよね。よ〜っく判ります。味見も出来ます。ひとかけらですが、美味しい! 美味しいな〜

そして『完売』の文字。至る所に『完売』の文字。う、急がないとまずいかも。帰りに買おうとしてたら『完売』だらけかも。荷物になるけど今買うことにします。気楽に楽しんでいましたが、一気に真剣になります。あっちこっちぐるぐる見ながら、『あ〜でもない、こ〜でもない』とあれこれ考えながら品定めをします。姉さんや芸舞妓さんの顔を浮かべながら選んでいきます。姉さんは可愛いのが好きやしな〜 ハートは明るい色がいいかな〜 しかし、結構な価格やな〜(笑)

一つ、二つと選んでいきます。なんだか女性店員が楽しそうに対応してくれます。気のせいかな〜 男がいませんからね〜 気のせいじゃないですよね〜(笑) こうなったら今日持って行くことにします。花街は先取りが『粋』。これは違うかな(笑) 楽しいことだし、いいでしょう。勝手に納得します。時間を見つけてお届けです。

『姉さん、これ。男の気持ちです。』 姉さん、笑ってます。幸せです。明日14日はバレンタインデー。
2010都をどりチケットについて (2010年2月23日更新)
FMからユーミンの『春よ、来い』が流れています。私はユーミンファンで、好きな歌の一つです。ここ数日、風はまだまだ寒いけど、陽射しはとっても温かく、めっきり『春』を感じます。明日は20℃になりそうですとDJが伝えています。4月の陽気、週末には春一番が吹くかもとも言っています。服も色とりどりになり、町中明るくなり、気持ちも軽やかになり、とっても好きな季節。今日23日、電話で舞妓さんと話すと、決り文句の『おたのもうします!!』 お稽古のことなど話します。立方(たちかた)でお囃子の出番の芸舞妓さんは2月から『都をどり』のお稽古が始まっています。3月に入りますと『都をどり』の舞のお稽古が始まります。地方(じかた)のお稽古は2月からですでに始まっています。

さて、今年も『都をどり』チケットを正規価格にてお譲り出来ます。今年で8回目です。世情は厳しさを増していますが、是非、京都の春を楽しんでいただければと思います。桜開花予想が3月27日(土)から25日(木)へと早まっています。地球温暖化で最近の気象は不安定ですがどうでしょう。昨年2009年は3月27日と発表されて19日開花、その後寒の戻りで冷え込んだりで長く咲きつづけました。それでは今年も宜しくお願い致します。( 2010都をどりチケット申込み詳細 )

追伸
4月第1土日は、すでに完売です。第2土日はどうでしょう。昨年2009年は30日間満員御礼でした。

都をどり衣装合わせ ( 京都新聞 )


春のをどり

北野をどり ( 上七軒歌舞会 )
2010年3月25日(木)−4月7日(水)
和紙緞帳の柔らかな光に包まれて ( 京都新聞 )
衣装合わせ ( 京都新聞 )

京おどり ( 宮川町歌舞会 )
2010年4月3日(土)−4月18日(日)
舞妓さん 『 地方 ( じかた ) デビュー 』 ( 京都新聞 )
衣装合わせ ( 読売新聞 )

鴨川をどり ( 先斗町歌舞会 )
2010年5月1日(土)−5月24日(月)
2010都をどりチケットについて (2010年2月13日追加)
は、は、は〜くしょん!! あ〜花粉が飛び始めたかな〜 春も近いな〜(笑)

さて、1月終わりには、舞妓さん達から『○×日がお茶席です〜! おたのもうします〜〜〜!!』と声を掛けられます。2月に入り、祇園町のあちこちに『都をどり』のポスターが貼られています。今年もお稽古を含めて3ヶ月に及ぶ『都をどり』が始まりました。地方(じかた)さんのお稽古は2月から始まっています。

今年も都をどりチケットを正規価格にてお譲り出来ます。今回で8回目です。世情は厳しさを増していますが、是非、京都の春を楽しんでいただければと思います。桜開花予想で3月27日(土)と発表されています。地球温暖化で最近の気象は不安定ですがどうでしょう。昨年2009年は3月27日と発表されて19日開花、その後寒の戻りで冷え込んだりで長く咲きつづけました。それでは今年も宜しくお願い致します。( 2010都をどりチケット申込み詳細 )

追伸
4月第1土日をご希望の方はお急ぎ下さい。確認していませんが、すでに完売になっているかもしれません。昨年2009年は30日間満員御礼でした。


春のをどり

北野をどり ( 上七軒歌舞会 )
2010年3月25日(木)−4月7日(水)
衣装合わせ ( 京都新聞 )

京おどり ( 宮川町歌舞会 )
2010年4月3日(土)−4月18日(日)
衣装合わせ ( 読売新聞 )

鴨川をどり ( 先斗町歌舞会 )
2010年5月1日(土)−5月24日(月)
感覚 (2010年2月5日更新)
立春の2月4日前日、2月3日は節分です。祇園を撮らせて頂くようになり、この日は祇園(八坂神社)さんで行われる祇園甲部の節分奉納と決まっていました。祇園を撮らせて頂くようになり10年目、当然祇園さんに行くつもりでしたが、今回は初めてのところの節分行事に行かせて頂いています。

ネットや常々ご一緒させて頂いています報道の方々から情報を入手したりと当日に備えます。どうも短時間のようです。じっくり見ながら撮っていますと終わってしまいます。考えている暇はなく、感覚で撮り続ける瞬間のようです。前もってある程度撮影プランを決めておき、当日式次確認で確定し、始まってからはこれまでの経験で随時対応とします。

当日。いよいよ豆まき。ここまでしっかり撮影出来ています。舞台上でずらりと並んだ報道に交じって待ちます。取材に何十社来ているのか、圧巻です。それにこんな大舞台は初めて。そして、高い。それはそうと、一番気になるだれがどの位置に着かれるか判りません。大勢の方々が舞台へ入場して来ます。どの位置に着きそうかしっかり追います。大勢の報道がいるこちらへ来そうです。この位置からはまったく撮れません。僧侶、年男、報道でごった返す中、場所が確保出来るか確認、急遽移動。すべて変更です。場所を確保しながら撮影プランを考え直します。雲が流れて露出も猫の目のように変わっています。常々経験していることですので、周りの状況、構図、カメラの設定と次々に撮影プランを決めていきます。恐らくこれらのことを1、2分で対応しています。

1回目が始まります。動きをしっかり見ながら、露出を確認しながら、撮り続けます。それにしても舞台下の大勢の方々。何千人の人がいるのでしょう。凄いの一言。(報道記事に1万5千人と記載) 撮り続けながら、移動出来るか様子を見ます。益々、舞台上はごった返しています。移動は無理と判断、舞台上の方々の迷惑になるだけ。この位置で撮り切ることとします。そして終了。

休む間も無く、2回目に備えます。式次確認、撮影位置の確認をします。報道はほとんどいません。今度は当初の撮影プランでいけそうです。そして舞台下にはまたまた大勢の方々。そうそう、警備もすごい。警察、警備員が何十人いるのでしょう。これだけの人がいますので、安全確保に対応しています。そして1回目と同様、始まります。構図、露出を考えながら、撮り続けます。こんなに予定していた通りに行くとは思ってもいませんでした。終わったとき、てっきり2回目は『神様からの贈り物』だと思いました。

昨日、今日と撮り終えた写真を見ながら選択しています。豆まきは5分なんてなく、もっと短い時間だったことに驚きます。撮影しながら移動も考えていましたので、どんな感覚だったのでしょう。そして、もしかしたら最初で最後かもしれないと思える写真が撮れています。あの状況下、よく撮り切ったものです。1回目はよく対応出来たものだと驚きます。当日は2回目が神様からの贈り物と思ったけど、1回目がまぎれもなく『神様からの贈り物』です。あれだけごった返していたのに移動した場所に少し余裕があったりと、今考えると本当に偶然が重なっています。移動する直前、少しばかり躊躇もしたように思いますが、なにかが導いてくれたようです。

まだまだゆっくりしている訳にはいきません。もっともっと、技術を磨き、感性をより敏感にしていきたいものです。撮影したすべてが良くも悪くも納得出来るようになりたいものです。構図の甘さ、もっと違った構図でも撮れたと思うばかり。もっと、もっと、上へ。
正月 (2010年1月19日更新)
正月。三が日、七日正月(1月7日は五節句で人日(じんじつ))や松の内の15日まででしょうか。以前は1月のことを正月といっていたとのこと。昨今は1月1日だけが正月のような慌しさ。大正月は元日のこと。1月15日は小正月。これは月の満ち欠けを暦にしていた旧暦で、1日は新月、15日は1年で最初の満月にあたります。こういったことで15日を小正月といっているようです。西暦は月齢との関係がないため、15日を小正月といっても満月ではないので意味合いを感じることが出来なくなっています。また、松飾り(門松)を供えておく小正月までを『松の内』といいます。花街では松飾りに『根引きの松』を多く見かけます。先人の感覚に風流と自然と一緒にあることを感じます。

さて、小正月。懇意にして頂いているお茶屋さんに『お箸紙』を取りに行っています。花街の始業式の日にご挨拶をさせて頂いた折、『お箸紙を取りに来ておくれやす』と、この上ないお誘い。とても忙しくしていて、1ヶ月ほどお酒を一滴も飲まない日々のため、行けるかどうかよりも体が心配な状態です。しかし、掛け替えのないお一人。1年の始まりで、清々しく時を過ごしたいこともあり、小正月にお正月を感じに上げて頂きました。この日の芸舞妓さんは黒紋付。15日までは黒紋付、色紋付を着ることとなっていて、紋日に中ります。稲穂と松竹梅の花簪を挿し、黒紋付の舞妓さんにお屠蘇を頂きます。三世井上八千代、春子さんの百壽記念のお盃で頂きます。このお屠蘇でふらふらっとしました。ここまで疲れているとは、やばい(笑) そして『お箸紙』。この上ない至福のひと時です。言葉では言い表せない大切な瞬間を過ごさせて頂いています。人は一人では生きられなく、自然とともにあるように感じています。人と人の繋がりを大切にしたいものです。そういった当たり前のことを思い出させてくれた花街と一生付き合せて頂けたら幸せなことで、そうありたいものです。

お茶屋さんを後にした直ぐ、とてもよくして頂いている芸妓さんに会いました。一言、二言ですが話が出来て、とても嬉しいことを言って頂いています。幸せなことです。内容は、もちろん、ヒ・ミ・ツ(笑) もっといい関係になりたいものです。

さて、今年も温かくて優しさを感じる写真を撮っていきたいものです。見た方が、笑顔になり、幸せになる写真を撮っていきたいものです。

追伸
地唄に松の内の情景を題材にした『正月』という演目があります。「しょうがつ」ではなく、『まさづき』と読みます。なぜ『まさづき』と読むのか判らないようです。ところで、1月2日に見る夢を「初夢」といいますが、『正夢』というとかいわないとかということをどこかで聞いたことがあります。『まさゆめ』、『まさづき』と関係があるようにも思えます。以前は『正月』と書いて、『まさづき』といっていたのでしょうか。
年の瀬 (2010年1月5日更新)
新年を迎えていますが、師走のお話。

北野天満宮で豊臣秀吉が天正15年10月1日(1587年11月1日)に10日間開いた北野大茶湯にちなんで12月1日に『献茶祭』が行われています。それから忠臣蔵。討入りの日の12月14日。雪が降っていたということですが、旧暦では1月後半になり、寒い日だったことが伺えます。『山科義士まつり』や『義士会法要』(法住寺)が行われます。

お釈迦様。菩提樹の下で悟りを開いた12月8日に因み、『臘八会(ろうはつえ)』や『成道会(じょうどうえ)』が行われています。臘八は12月、成道は大悟。

風物詩となっています『大根焚き(だいこだき)』や『南瓜供養(かぼちゃくよう)』も行われます。南瓜の旬は夏ですが、冬至のころに特別に頂きます。

新年を迎えるための行事も行われます。『事始め』、『煤払い』(東西本願寺)、『御身拭式』(知恩院)。

1年の締めくくりの『終い弘法』(東寺)、『終い天神』(北野天満宮)。

八坂神社では大晦日の『をけら詣り』

花街の島原では贔屓筋を招いて行われる『餅つき会(え)』(復活して2009年で9回目)が12月23日に行われます。島原が廓だったころ、12月第3日曜日に行われていたものです。2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』、島原は、新撰組が出入りしていて、今も現存している『太夫(たゆう)』がいる花街。

師走であっても、宗教、歴史、連綿と続いている習慣に因んだあれこれが行われています。科学の世紀といわれていても続いていくもの、引き継がれていくもの。人と人が接し、大切にして、忘れてはいけないもの。損得勘定や効率では割り切れない、とっても温かくて大切なもの。いつまでも、いつまでも、そうあって欲しい。
おめでとうございます (2010年1月1日更新)
2010年も大晦日から引き続き撮影で幕を開けています。フォトグラファーとしてこれほど嬉しいことはありません。京都市内は傘を差すほどではないけど、雪が舞ったりしています。大晦日から元旦の雪は度々あり、記憶に残っています。積もるほど降るかな〜 そう、今日は満月で部分月食。雪雲が出ているからでしょう、お月様の姿は見えません。さて、雪次第で撮影プランも変更です。それでは今年も宜しくお願い致します。

Copyright © 2001 - 2012 吉川 浩 フォトワークス All Rights Reserved