
[2001年2月2日(金)節分神賑行事〜宮川町歌舞会舞踊奉納豆撒]
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御神徳 |
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皇室の崇敬については後三条天皇の行幸を始め上皇の後幸等34回にも及び、又公卿武門の崇敬も厚く奉幣参拝を始め社殿の修営奉献も再三に及んでいる。 祇園さんと云えば天王さん、八雲さんの名で夏祭りとして全国津々浦々に至るまで庶民的な行事を繰り広げ、疫病消除を祈る人々の心の灯として信仰が厚いのは有名である。 祇園祭に限らず年中を通じて社頭に心身の病気平癒を祈る人の姿が絶えないのも、大神の御神徳の至す所である。 又大神は気性の激しい直情径行の御性格で、云わば恐ろしい神様として崇まわれている様に、随分乱暴な所作もあったが、艱難辛苦されて遂に清浄な心境に到達された神様であるので、罪穢を祓い清める神として、又すがすがしさそのものを表わす神様として信仰されている。 又大神様は多くの善根を積み重ね、自らの犯された罪穢を身を以って贖罪されたのであるが、中でも八岐大蛇の話は大神が治水の神様であり、水を司る神即ち水の神様としての御神徳を有して居られ、従って稲の神様農業の守り神として全国的な信仰を集めている事は周知の事である。 又大神は御子神の五十猛神と共に新羅国牛頭山に在り、植樹につとめられた事から山林の神として崇拝されている。 又自らの赤心をかけて天照大神と誓約された古い伝えから、誓いの神様として商家の信仰が篤く、京都では誓文払の神様として知られている。 又日本で初めて「八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣造るその八重垣を」の和歌を作られた神として、和歌の祖神と仰がれている。 又都会殊に京都に於居ては商売の神として昔から信仰が篤い。大神は京都の中心にある氏神であり、氏子の人々が生活のよりどころとして崇拝して居り、殊に中世より材木関係者により組織された材木座があり、綿に関係ある人々の綿座、呉服商により小袖座、又菓子業者による菓子座、又質屋組合の土倉など何れも大神様の庇護のもとに信仰と商売の調和を取りつつ生活をしていた。この様な歴史的過程の上に積みあげられた氏子の経済は未だに町の人々の氏神様への信仰がその土台をなしている。従って氏子としての個人の立場の外に、商業機構を含めての祈願が非常な勢いで伸びている。 |
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創祀 |
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八坂神社は明治元年まで祇園社と称していたので、「祗園さん」の名で親しまれ信仰されている。 社伝によると八坂神社は斉明天皇二年(656年)高麗より来朝せる調進副使の伊利之使主が新羅国牛頭山にます素戔鳴尊を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、八坂造の姓を賜ったのに始まる。伊利之来朝の事又素戔鳴尊が御子五十猛神と共に新羅国に降り曽戸茂梨(楽浪郡牛頭山)に降りられた事は日本書記に記す所であり、新撰姓氏緑に八坂造は狛国人万留川麻乃意利佐の子孫なりとある記録と考え合せて、ほぼ妥当な創祀と見てよい。 尚この八坂の地は、華頂山の麓帯は今も清水寺、双林、長楽、安養、知恩院等あり、当時霊地として信仰の対象であった事を思えば当社創祀は斉明期以前をも想定し得る。 |
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御祭神 |
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・御本殿 合十三前 |
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・摂社 |
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・末社(北向蛭子社〜重要文化財) |
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・御旅所 |
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勧請社 |
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全国の当社勧請社は総計3053社 近畿地方521社 中国地方266社 四国地方461社 九州地方376社 東海地方115社 関東地方915社 北陸地方170社 東北・北海道229社 |
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出展 |
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八坂神社由緒略記(八坂神社発行) |
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祇園祭(八坂神社発行) |
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京都祭紀行(京都府商工部観光・商業課発行) |
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祇園こいしや(京料理 美登幸発行) |
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