吉川本舗提供「京の缶詰」ロゴ 八坂神社 京都市東山区祇園町北側
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御神事(その3)
  花傘   馬長、小武者、獅子舞、祇園太鼓、織商衣装人形、さぎ踊、祇園音頭等のお迎提灯の芸能、さぎ舞、田楽、六斎念仏、祇園甲部、祇園東新地、宮川町、先斗町各花街の舞踊。夫々の芸能の花傘、鉾。

花傘巡行は昭和41年に前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)が統合され7月17日に山鉾巡行が行なわれることになったため、7月24日の後祭を補う形でおこされました。山鉾の原初的な形態である花傘を中心に鷺舞・田楽・獅子舞・祇園太鼓・馬長・稚児・児武士等が風流を競います。24日午前10時石段下を進発、四条通を西へ、河原町通を北上、市役所前より寺町を経て、御旅所にて奉行・宮司立会のもとに拝礼後、四条通を本社に還り、本殿前にてそれぞれ芸能を奉納します。
京都織物卸商業組合による織商鉾や花傘娘、山鉾連合会による祇園囃子、花街の芸子衆による舞踊、祇園太鼓、獅子舞久世六斎・万灯おどり等多彩な行列と芸能の奉納にて後祭を彩ります。
なお、鷺舞は往古より西陣から祇園祭に奉納された舞でありましたが、近世になり中絶していたのを戦後、津和野の弥栄神社に当社の鷺舞が習得保存されているのを復活し、鷺舞保存会の人々によって演じられています。
(祇園祭 八坂神社発行)
    獅子舞花傘巡行に際し、清めの意味を以って、金獅子・銀獅子を復活、巡行の先頭をゆく。その作曲並びに振付は茂山千之丞氏の手になる。(八坂神社青年会)
    鷺舞橋の上におりた鳥は何鳥 かささぎのヤア かささぎの さぎが橋を渡したさぎが橋を渡した 時雨の雨にぬれじとて
鷺舞は傘鉾に附属した踊で、雄雌のさぎ、かっこ二人、棒振二人が傘鉾の周囲を踊りながら巡行したもので、近世傘鉾の中絶にともない、鷺舞も中絶するに至った。当社より寛政二十年津和野藩に伝習されていた鷺舞をもとにし、昭和三十一年後祭に復興されたのがこの鷺舞である。
鷺は雄と雌がいて、雌のくちばしが少し開いている。(鷺舞保存会)
    田楽田楽はもと豊年予祝の目的で行なわれました。長徳四年(998年)に演ぜられた記憶が最古のもので、祇園の神が田楽を好まれるとのことで、永長元年(1096年)に京の街は公卿殿上人儒者までが町衆の田楽踊の渦の中に巻き込まれました。世に永長の大田楽と呼び、見物の桟敷が崩れる程の大騒ぎでした。
昭和五十三年より復活の祇園田楽も神慮を慰め、疫病退散・国土平穏を願い、明るい喜びの舞に共感の渦を拡げたいと思っています。「中門口」「総舞」「論舞」から構成された祇園田楽は中心の「総舞」を奈良帝塚山短大の皆さんと、「中門口」「論舞」を京大、同志社の皆さんで奉仕され、祇園田楽保存会として恒久的に愛される芸能を目論んでいます。(祇園田楽保存会)
    六斎六斎とは六斎日(八・十四・十五・二十三・二十九・晦)に念仏した事から起り能楽、歌舞伎等の影響を受け今日に至っている。楽器は笛、三種の太鼓、鉦を使用する。(久世六斎保存会)
    雀をどり昔むかし山のあなたにあったげな 爺は山へ柴刈りに婆様は川へ洗濯に留守に雀が棚もとの糊を残らず食うてしまい 婆様見るよ腹をたて 舌切雀で追い払い爺様いとしや杖つき 及の字で糊を食うた雀どんは ここらでござらんか チュウチュウ野越え山越え里を越えてエエ行ったといナ。
「昔噺」と云う上方唄の一部にて雀をどりとして「七賢人」の中にも用いられる。初世八千代または二世振付にて舌切雀の噺から取ったものである。(祇園甲部お茶屋組合)
   
    コンチキ音頭京はナア 霞のむらさきくれはうすべに
風流はんなり しっとり千年
京はナア 姉三六角 おぼろの川筋
ふたり出会うて
ホンノリホンノリ円山
はやしは鉾町 コンコンチキチン コンチキチン
ヤンレヨーイヤ ヨーイヤサ
京はナア思いは友仙つづれに鹿の子に
乱れて顔よすのれんののれんのお月さん
あしたも陽気にコンコンチキチン コンチキチン
ヤンレヨーイヤ ヨーイヤサ
京都の風俗や名所、それに名物等を唄い込んだ京情緒豊かなこの音頭はコンコンチキチンの囃し言葉に因んでコンチキ音頭と名付けて昭和三十九年京都市文化団体懇話会によって制定せられ光田作治氏の作詞、高橋半氏の作曲で発表せられました。然しこの音頭は歌の内容からみても音頭の形式からみても、祇園祭に最も適しく、広く京都の唄として唄われるべき楽しさを持っています。そこで四十二年これを、今藤長十郎氏に新しく編曲し、踊も新しく振付け踊られたものであります。(宮川町お茶屋組合)
    万灯をどり一、廊格子にみあかしの ほんのり映ゆる露路々々や 打水光るこの宵を
    誰がつまびく三味線の しのび音きけば川千鳥 思ひあまりてすすりなく
二、神輿洗の宵あがり 都大路を四条橋 大松明のほはゆれて
    ホイナホイナの神輿がゆく 鷺や音頭や馬長の 稚児がゆきますお迎えに
三、常は出ませぬ今晩かぎり 塀風かざりの軒々に 祇園囃子の宵ふけて
    観音様の町めぐり 明日はお旅のおみこしに 無言詣りの夜は七夜
祇園祭音頭に奉仕の人々が生長するに従い、その人々の為に八坂神社鈴木名誉宮司の作詞になる万灯をどりを昭和四十三年七月二十四日に花傘巡行より参加する事になった。(祇園万灯会)
   
  お神輿さん   三基の神輿が渡御(巡行)する、祇園祭の中心である「神輿洗」「神幸祭」「還幸祭」の行事です。
    神輿洗7月10日と28日、両日の夕刻から行なわれます。中心の神輿一基が八坂神社から四条通を直進し、四条大橋へ向かいます。
神の乗物(神輿)を鴨川の水で清める行事です。
    神幸祭7月17日、夕刻から行なわれます。中御座、東御座、西御座という三基の神輿が、八坂神社からそれぞれ別々のコースで四条通寺町東にあるお旅所へ向かいます。一基が2、3トンちかい重さの神輿を「ホイット、ホイット」と威勢のいいかけ声で二百人ほどが交替で担ぎ、気勢をみなぎらせます。祇園の人々は「もうすぐお神輿さん(おみこっさん)通らはるえー」と、ゆかた姿で見物するのです。
到着は、夜の9時から10時ごろになります。
    久世稚児祇園から南西10キロほどに「久世」というところがあります。その地区に綾戸国中神社が鎮座しています。八坂神社と深い関係があるそうです。そのルーツはいまだに不明のままです。
同神社の久世稚児が、17日の神幸祭と24日の還幸祭にお供します。八坂神社の境内では「皇族下馬」といって、神の子孫とされる皇族や、長刀鉾の稚児でさえ下馬するのに、久世稚児は馬に乗ったまま入ります。同稚児が御神体といっしょに社参するため、稚児地自身が神とみなされているためです。
    還幸祭7月24日、夕刻から行なわれます。お旅所に滞在していた神輿が、後祭と呼ばれる地域を渡御し、再び神社に戻る神事です。
   
  ぎおんばやし   7月の声を聞くと、鉾町曳山町の会所から、京の町々の宵空を流れる祇園囃子の音色は、町の人々に限らず、京に住む人々の胸に、そこはかとなく祭りへの郷愁をかき立てる。
鉾の名を染め抜いた浴衣をきて、会所に急ぐ少年を見るだけで祭に対するしみじみとした情感が湧いて来る。
祇園囃子は、太鼓(しめ太鼓)・鉦・笛から成っているが、練習の順序はまず鉦から入って笛に、そして太鼓になる。
従って太鼓を打つ様になるには、少なくとも十数年の精進を必要とする。その精進に堪え得るものは祭の熱っぽい魅力であろう。
この祇園囃子の曲目は、各山鉾町それぞれ30曲、多いのは40曲近くあり、山鉾町により一部共通したものもあるが、その多くは、各山鉾町独特の囃子である。

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