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コンチキ音頭 | 京はナア 霞のむらさきくれはうすべに 風流はんなり しっとり千年 京はナア 姉三六角 おぼろの川筋 ふたり出会うて ホンノリホンノリ円山 はやしは鉾町 コンコンチキチン コンチキチン ヤンレヨーイヤ ヨーイヤサ 京はナア思いは友仙つづれに鹿の子に 乱れて顔よすのれんののれんのお月さん あしたも陽気にコンコンチキチン コンチキチン ヤンレヨーイヤ ヨーイヤサ 京都の風俗や名所、それに名物等を唄い込んだ京情緒豊かなこの音頭はコンコンチキチンの囃し言葉に因んでコンチキ音頭と名付けて昭和三十九年京都市文化団体懇話会によって制定せられ光田作治氏の作詞、高橋半氏の作曲で発表せられました。然しこの音頭は歌の内容からみても音頭の形式からみても、祇園祭に最も適しく、広く京都の唄として唄われるべき楽しさを持っています。そこで四十二年これを、今藤長十郎氏に新しく編曲し、踊も新しく振付け踊られたものであります。(宮川町お茶屋組合) |
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万灯をどり | 一、廊格子にみあかしの ほんのり映ゆる露路々々や 打水光るこの宵を 誰がつまびく三味線の しのび音きけば川千鳥 思ひあまりてすすりなく 二、神輿洗の宵あがり 都大路を四条橋 大松明のほはゆれて ホイナホイナの神輿がゆく 鷺や音頭や馬長の 稚児がゆきますお迎えに 三、常は出ませぬ今晩かぎり 塀風かざりの軒々に 祇園囃子の宵ふけて 観音様の町めぐり 明日はお旅のおみこしに 無言詣りの夜は七夜 祇園祭音頭に奉仕の人々が生長するに従い、その人々の為に八坂神社鈴木名誉宮司の作詞になる万灯をどりを昭和四十三年七月二十四日に花傘巡行より参加する事になった。(祇園万灯会) |
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・お神輿さん |
三基の神輿が渡御(巡行)する、祇園祭の中心である「神輿洗」「神幸祭」「還幸祭」の行事です。 |
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神輿洗 | 7月10日と28日、両日の夕刻から行なわれます。中心の神輿一基が八坂神社から四条通を直進し、四条大橋へ向かいます。 神の乗物(神輿)を鴨川の水で清める行事です。 |
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神幸祭 | 7月17日、夕刻から行なわれます。中御座、東御座、西御座という三基の神輿が、八坂神社からそれぞれ別々のコースで四条通寺町東にあるお旅所へ向かいます。一基が2、3トンちかい重さの神輿を「ホイット、ホイット」と威勢のいいかけ声で二百人ほどが交替で担ぎ、気勢をみなぎらせます。祇園の人々は「もうすぐお神輿さん(おみこっさん)通らはるえー」と、ゆかた姿で見物するのです。 到着は、夜の9時から10時ごろになります。 |
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久世稚児 | 祇園から南西10キロほどに「久世」というところがあります。その地区に綾戸国中神社が鎮座しています。八坂神社と深い関係があるそうです。そのルーツはいまだに不明のままです。 同神社の久世稚児が、17日の神幸祭と24日の還幸祭にお供します。八坂神社の境内では「皇族下馬」といって、神の子孫とされる皇族や、長刀鉾の稚児でさえ下馬するのに、久世稚児は馬に乗ったまま入ります。同稚児が御神体といっしょに社参するため、稚児地自身が神とみなされているためです。 |
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還幸祭 | 7月24日、夕刻から行なわれます。お旅所に滞在していた神輿が、後祭と呼ばれる地域を渡御し、再び神社に戻る神事です。 |
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・ぎおんばやし |
7月の声を聞くと、鉾町曳山町の会所から、京の町々の宵空を流れる祇園囃子の音色は、町の人々に限らず、京に住む人々の胸に、そこはかとなく祭りへの郷愁をかき立てる。 鉾の名を染め抜いた浴衣をきて、会所に急ぐ少年を見るだけで祭に対するしみじみとした情感が湧いて来る。 祇園囃子は、太鼓(しめ太鼓)・鉦・笛から成っているが、練習の順序はまず鉦から入って笛に、そして太鼓になる。 従って太鼓を打つ様になるには、少なくとも十数年の精進を必要とする。その精進に堪え得るものは祭の熱っぽい魅力であろう。 この祇園囃子の曲目は、各山鉾町それぞれ30曲、多いのは40曲近くあり、山鉾町により一部共通したものもあるが、その多くは、各山鉾町独特の囃子である。 |